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 心情的には汲んでやりたいと思わなくもない。子守り男を信じ切る。それで
こんな住環境に住まざるを得ないイツカが安らかに過ごせるのなら、是非とも
そう信じ込ませておいてやりたい。子守り男を信じることで、こんな閉塞空間
に僅かばかりの光でも感じ取ることが出来るのなら、閉ざされた実体の厳しさ
も幾らかは薄らぎ、救われもするだろう。しかし、残念ながらイツカの信じる
防犯効果のほどは全面的に否定しなくてはならない。
実際、フォレス一人で、何が出来るってもんでもないわけだからな。
緊急事態における適切な対応とは、誰か、一人のスーパーマンが超人的な活躍
をすることではなく、皆で庇い合ってこなすものだ。イツカが自分の子守り男
に期待するような、目覚しい成果など決して、有り得ない。
妄想だよ、そりゃ。つまり、こいつがフォレスに寄せる信頼ってやつは所詮、
盲目的な幻想だってことだ。ファンタジーなんだよ、結局。
大体。
正気なのかな、こいつ。
だって。
いくらなんでも、少し考えればわかること、だろ?
どんな格闘家だって、鉛の弾一発で即、あの世行きだってことくらい、自分が
一番、良く知っていることじゃん? 曲がりなりにも監察医なんだから、さ。
週に何体となく、身体に穴の開いた、射殺体を見ていながら、なぜ、イツカは
その現実を無視し、自らの子守り男のみを信じられるのだろう?
そうだよ。医者なんだから、満更、馬鹿じゃない。いいや。利口なはずだよ。
うちのシャロームじゃないんだから。
 イツカは的確に判断し、適切な対応が出来る一人前の人間だ。だからこそ、
監察医として勤めているのだし、実際、仕事ぶりは有能だ。断じて、馬鹿では
ない。ならば、彼のフォレスへの過信、いや、勘違いは一体、どこから、どう
やって派生したものなのだろう? どこかに手掛かりはなかったか? 思いを
巡らす内、ウィルは先日、ラボへ降りて行く階段でマークと交わした立ち話を
思い出した。
そういや、あの大男はイツカが一歳の時からずっと番をしているって、そんな
ことを言っていたっけ。一歳って言えば、犬猫のような時代からってことだよ
な。
イツカの物心がついた時、フォレスは既に子守りとして、イツカの傍にいた。
そしてそのまま、ずっと今日まで彼一人に守られて来たのだとしたら、イツカ
のフォレスに寄せる信頼がウィルの常識をはるかに超えるレベルにまで達して
いたとしても、不思議ではないのかも知れない。
そうか。裕福だけど、愛情に恵まれて育ったようじゃないし。特異体質とやら
だし。もしかしたら、仕方がないことなのかも知れないんだよな。
ウィルはやり切れないため息を吐いた。本当にイツカの“世界”は狭いのだ。
余所を、普通ってものを知らないから、仕方ないんだよな。
犬猫が隣家の飼い主を、その生活を知らないのと同じなのだろう。
もっとも、今日まで無事だったのは僥倖としか言いようのない幸運なんだが。
だが。
もし、イツカにフォレスに対する、それほどまでの信頼があるのだとしたら。
尚一層、今日の彼の行動は突飛なものだったと言えるのではないだろうか? 
なぜ、イツカは忠犬よろしくいつものように自分を待っていたフォレスを出し
抜き、わざわざ他人であるウィルの車で帰宅しなければならなかったのか? 
何のために? 
そんなこと、する必要はないじゃないか?
 どう見ても二人の関係はうまく行っていた。イツカがフォレス相手にそんな
嫌がらせじみた行為をしなければならない、そんな理由はなかったはずだ。
いたずらにしても、度が過ぎているし。
こんなのんきな性分じゃ、さほどあくどい意地悪も考えつかないだろうに。
ウィルは署の駐車場を連れ立って歩く二人を一度だけだが、見ている。仕事柄
か、辺りを気にかけながら歩くフォレスと、彼に守られて気楽そうなイツカ。
二人の仲は円満に見えたし、今日のイツカの様子からも子守り男と仲違いして
いる気配は窺えない。
仲は良さそうだった。大体、最初、デキてるのかと思ったくらいじゃないか。
だったら、何で、わざわざ、あいつを怒らせるようなことをするんだ?
「おい。一体、何のために、あの子守り野郎にケンカを売るような真似をする
んだ? 何の意味があるって言うんだ?」
 問われたイツカはいささか気怠そうにソファーにもたれていた。仕事明けで
疲れているのは致し方ないのだろう。それでもウィルの質問を受け、イツカは
律儀にもそれに答えるべく、身体を起こそうと努める。その顔は案外、真面目
ぶったもので、まともに視線を合わせたウィルは一瞬、どぎまぎとしなければ
ならなかったほどだ。
「彼、最近、おかしかったから。常々、過保護な方だとは思っていたけれど」
イツカは小さく苦笑した。自分でもおかしな環境にいることくらいはわかって
いるらしい。
「確かに以前から過保護だったけど、でも、僕の話をちゃんと一人分の意見と
して聞いてくれていたんだよ。それなのにこの頃、フォレスは僕の意見なんて
まるで聞き入れてくれない。端から聞こうともしない。人が違うんじゃないか
って心配になるくらいにね。だから、早く確かめようと思って」
「確かめる? 何を?」
「正常か、否かを、だよ。もし、異常があるんなら、早く連絡して取りに来て
もらわないと大変なことになるでしょ?」
取りに来てもらう? 
ウィルにはその言いぐさが引っ掛かった。
だって、それって、人間相手に使うにはおかしな言い回しじゃないか?
 イツカは医者だ。フォレスの精神状態を疑い、治療の必要性を感じているの
なら、本人に治療を勧めればいい話だろう。それにも関わらず、イツカは治療
を勧めているわけではなさそうだ。それどころか、入院だとか、通院だとかと
いうごく当たり前の表現すら使わなかった。“取りに来てもらう”と言ったの
だ。
それ、人間を相手に使う表現じゃないだろ? 
家電とか車とかそんな物相手の言いぐさ、仲良しの、頼りにしている子守り男
相手に使うのはおかしいんじゃないのか?
 真意を問い質そうとウィルは改めてイツカを見、ふとその異変に気づいた。
何、しているんだ、こいつ。
イツカはじっと玄関のあるその方向を見据え、顔には何の表情もなかった。
「どうしたんだ?」
呼吸は続けているし、瞬きも平均的な規則を保っている。しかし、その他には
一切、何の動きも感情もなく、ただ玄関に通じるドアに向いているだけだ。
何だ? 何の真似だ?

 

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