もしかすると今、一人息子の身近に何食わぬ顔で一人くらい、犯人がいるの ではないか。その疑問と不安に麻木は父親として、怯えざるを得なかった。 だからこそ、麻木はいつまでもあの四人の幻に付きまとわれ、苛まれなければ ならなかったのだ。 もし、自分の息子が異常者達の、その内の一人にでも今、狙われているのだと したら。何も知らずに会話しているのだとしたら。もし、我が子があの四人と 同じように扱われる時が来たら。そう思うと麻木は不安で不安で生きた心地が しなかった。 『行く先に墓はあるのか』 あいつは何で、あんな気味の悪い詩を書いたのだろう。 不安を煽り立てるような不可思議な詩を書いた二十年も前の息子にまで腹が 立ってならなかった。 ふと麻木は現実に返り、暗く、誰もいない公園の入り口へと目を向ける。雨 越しに薄ボンヤリと<燃えるゴミ>というプレートのついたゴミ箱が見える。 あの足下に青田 豊は捨てられていた。 そう、あれは燃えるゴミだった。 何しろ、破壊され、人としての尊厳を失っていたのだから。 「ヤマダ マヤ」 けたたましい女の声に麻木は唐突に現実に引き戻された。 「早くしなよぉ」 どうやら公園を出た所にあるCD店から出て来た三人組の少女達のようだ。 「第一発見者は嫌だよね」 「あんた、小心者だもんね、その場で心臓マヒすんじゃない?」 「心臓マヒもするよ。物凄い死体なんか見たらさ」 「死体もヤだけど」 「犯人に会いたくないよね」 彼女らの口は滑らかで、妙に甲高い早口だった。 「ちょうど死体、捨ててるところに出くわしちゃったら、やっぱりヤバイのか な」 「殺されちゃうのかな、目撃者だから」 「でも、女は殺してないじゃん?」 「どっちでもいいよぉ。早く帰ろうよ」 「ほんとにマヤは小心者なんだからぁ」 一人をからかいながら、だが、誰一人、公園の方へ顔を向けようとはしない。 そして、それは特別な、彼女らに限った行動ではなかった。この町の誰もが 内心、姿の見えない連続殺人犯達に怯え、不安に耐えながら暮らしている。 こんな苦のなさそうな小娘達でさえ、それでも一生懸命に我慢し、茶化すふり で気を紛らわせているのだ。 甲高い“奇声”も魔除けの用を為すことだろう。足早に忌まわしいこの死体 発見現場から遠ざかろうとする彼女達が少しでも明るい道を選び、無事に帰宅 出来ることを願いながら、麻木も重い腰を上げることにした。考えてみれば、 こんな雨の中、暗がりに潜んでいる自分も十分、不審者だと気付いたからだ。 公園を出、通りすがりに先ほどのCD店のウインドーに目をやって、麻木は 思わず、足を止めた。毎日、帰宅途中に見ることになる皎々と照らされたそこ のポスターが替わっている。それに麻木の目は惹き付けられていた。 一際大きく、まるで特別待遇を受けているかのようなその一枚。暗い色調で あるにも関わらず、他のどれよりも存在感があった。それは暗闇にたった一つ だけ、ぽつりと浮かび上がる顔だった。 微かにオレンジ色を含んだ光にさらされた顔。目を閉じた顔は静まり返って 人らしくなかった。あたかも、その紙の中だけが異世界のように見える。音が ないのではないか。そう疑うような黒い、静寂の世界。彼は紙一枚分くらい、 わずかに唇を開いている。その唇のささやかな赤みに漏れて来る吐息を感じる から、かろうじて死に顔でないと気付くのだ。何と悪趣味な写真なのだろう。 一瞬とは言え、死に顔を連想した自分が愚かしく、腹立たしくもなって麻木は 小さく無言のポスターの向こうにいるだろう撮影者に毒づき、我知らず家へと 歩む足を速めて、駆け出していた。 今宵もまた、雨の夜だった。実際、何の有効策も見つかっていない。だが、 麻木は雨を見つめるうち、あの夜の覚悟を思い出すことは出来たと思う。 怯まない。 決して。 そう自分に言い聞かせながら麻木は一層、強く煙る雨の中へ走り込んでいた。 |