back

menu

next

 

「大丈夫。眠っているだけだ。これから病院へ運ぶよ」
「よかった」
真夜気は胸を撫で下ろし、それからようやく麻木に気付いた。
「あっ、と」
「もう幾らかは説明したよ。これだけ似ていて、他人だって嘘付いたって意味
がないからな」
「ああ、そりゃ。そうだな。白々しいにも程があるよな。それより、あんた、
何でいるの? 明日帰るって聞いたよ」
「嫌な予感がしたから、繰り上げて帰って来たんだ」
「ああ」
真夜気は簡単に頷いた。彼らは天気予報より、自分の勘を信じる性質なのだ。
「あんたがいなかったら、本当にやばかったんじゃないのかな。直にここまで
来るなんて、まさかだよ。やり過ぎだよ。爆破だぜ、頭おかしいよ、あの家」
ベッドの上のミーヤに覆い被さるようにして、真夜気はミーヤの無事を確認し
つつ、口では未だぼやき続けている。
「いや、オレじゃないだろう。麻木さんのお手柄だ。麻木さんがいなかったら
間違いなく連れ去られていた。この人が真っ先に駆け付けて、ここにいたから
こそ、オレが間に合った。麻木さんがいたんで、あいつも躊躇しただろうから
な」
真夜気はミーヤの髪を撫でていたが、島崎がそう言うと麻木を振り仰いだ。
「ありがとう、おじさん。恩に着るよ」
彼は子供のような笑顔でそう言った。ミーヤを連れ去られていたらと思うと、
心底、嬉しいに違いなかった。屈託のない真夜気の笑みを見れば、麻木が子供
の頃、聞いて育った母親の口癖も、まんざらピント外れでもなかったらしい。
ミャー。
パピも気が落ち着いたのか、そう鳴きながら麻木の指先を舐めた。礼のつもり
なのだろうか、彼女の知能の高さが不可解だが、今は気にしてもいられない。
楓が引退したなら。その時、彼らは一体、何を楓に持ちかける気なのだろう?
今、思えば。
以前、真夜気が楓の進路を気にしていたのはそれ故だったのではないか? 
「楓をどうするつもりなんだ?」
島崎は真っ直ぐに麻木を見た。
「曾祖父は自分の跡を、家を継がせたいと考えていますが、既に断られている
そうです。楓さんは自分で稼げるし、あなたと離れてまで人の財産を求めたり
はしないでしょう」
「楓でなくたって、あんた達が、出来の良い子が何人もいるじゃないか。楓で
ある必要がどこにあるって言うんだ?」
島崎はまるで麻木の反応を観察し、そこから何かを推察しているようだった。
それは真夜気も同様で、二人の視線に気付き、麻木はギクリとした。二人には
麻木の思考が見て取れる。
「曾祖父は独善的だし、強引な人です。正直、彼のやり方に賛同する者など、
あまりいないでしょう。もちろん楓さんが望んで帰られるのなら歓迎します。
でも、彼が望まないのに」
島崎はベッドの上へ視線を滑らせた。
「こんな愚劣で、卑怯なやり方であなたの前からあなたの家族を連れ去るよう
な真似はしません。曽祖父はそんな卑怯者ではありません。それだけは信じて
下さい」
島崎の穏やかさは彼の人格を示していると感じられた。カホに似ているからと
言うだけでなく、彼には信用出来る何かがある。
「わかった。楓の仕事が落ち着くまで、オレは何も知らないことにする。楓に
電話して来る。爆発騒ぎがあって、今日は帰らない方がいいと言う。それだけ
だ」
「ありがとうございます」
島崎は丁寧に頭を下げた。
・・・
 前日の騒ぎなど楓は知らない。消防車やパトカーが駆けつけたものの、紙面
を飾ることも、テレビニュースに取り上げられることもなかった。単なる老朽
化による事故として扱われることになった経緯を麻木が今更、穿鑿することも
ない。麻木は人息でむせ返るロビーの外れで開演時間を待っていた。これが楓
のコンサートを見る最初で、最後の機会だ。兄夫婦は楽屋に向かったが、麻木
は気乗りせず、断った。邪魔したくないのも本音だが、もう一方で楓に心中を
見透かされるのが怖かった。麻木から楓を奪おうとしているのは連続殺人犯達
だけではない。実の曾祖父が自分の後継にと楓を欲しがっている。恐らく大層
な資産家でもあろう曾祖父が。そこへ行く方が楓のためなのだろうか。
きっと、オレには想像もつかない世界なんだろうな。金持ちで、家中が奇妙な
力を持つなんて、そんな家。
誰も彼もが他人の心中を読むことが出来たなら、その連中同士に会話は必要な
のだろうか。

 

back

menu

next