人間は目には嘘を吐く技能を備えることが出来ない。その正直な反応は九鬼 がミーヤが巻き込まれた拉致未遂に関して何も知らないと半ば、示していた。 「それはミーヤが、ミーヤがさらわれそうになったってことか?」 「そうだ。犯人の姿は見えなかったが、手慣れた犯行だった。催眠ガスを使う ような手合いだ。限定されるよな」 あの手口は一介のカメラマンに出来ることではない。麻木とて、そう承知して いる。だが、九鬼は玲子が言うところの疑うべき嘘吐きの一人だ。一切無関係 と信じてやるわけにはいかなかった。 「まさか。ミーヤに手を出すはずがない」 九鬼はそう呟いた。確かにそう言った。麻木は狼狽した九鬼を見据えた。彼は 口を滑らせた。ミーヤが襲われた事実に驚いて、自分のガードが手薄になった のだろう。 「誰のことを言っている? 小鷺か? あいつなら、当てにならんぞ」 麻木は思い付くまま、口走る。 「以前に立ち聞いた。あいつの父親はこう言ったんだ。さらってでも、先ず、 確保して、それから口説くなり、洗脳するなりすればいい。そう言ったんだ。 正直、その父と息子の会話を立ち聞いた時、オレには何のことだか、さっぱり わからなかった。だが、今、思えば、その時にはもう誘拐する心積もりだった んじゃないのか」 九鬼は黙りこくっている。麻木は畳みかけねばならなかった。今、九鬼に隙を 見せてはならない。九鬼に余裕を返してはならない。証拠もないのに尋問して いるのも同然なのだ。このまま、この機に乗じる以外、為す術はない。 楓の友人が殺人犯だとは考えたくなかった。しかし、この男はミーヤのため になら何でもするだろう。麻木は気を失い、運び出されるミーヤを見ている。 彼にはそれくらいの価値があるはずだ。人を寄せつけない雰囲気を持った楓に 比べ、ミーヤは優しい感じがした。あの寝顔からは到底、人の頭を蹴るような 性分は窺えない。正当防衛にやりすぎはないと、麻木に教えられて育った楓と は決定的に違う何かをその寝顔は見せていたように思うのだ。 「あいつは本当におまえの友人なのか。信用出来るのか。教えてくれ。オレが 居合わせなければ、斎藤は連れ去られていたんだぞ。あんな強力なガスが市販 されていないことくらい、誰でも知っている。それにマンションの爆破騒ぎで 気を逸らして、警備員達を出し抜こうとまでしたんだ。次がないと誰が言える ?」 「それを小鷺がやったと?」 九鬼の声はくぐもっていた。 「証拠はない。だが、彼の差し金でないという証拠もない。それに、彼になら 出来るだろう。そして、そんなことが出来る人間はごく希だ。滅多にいない」 九鬼はやはり黙っている。 「おまえは出し抜かれたんじゃないのか。おまえが知らないところでさらって 独り占めにする気だったんじゃないのか? そうじゃないと言えるのか?」 「いや」 九鬼らしからぬ弱い声だった。つまり、九鬼は認め始めたのだ。自分と小鷺 が同類ではあっても、もしかしたら小鷺には出し抜かれるかも知れない立場だ と。優位に立っているのは小鷺の方だ。若い小鷺が優位にいる。それは一体、 何を意味するのか。大抵は小鷺の方が役に立つ何かを提供しているということ だろう。役に立つもの。小鷺は小鷺製薬の御曹司だ。むろん、資金に不自由は ない。その上、小鷺製薬は風邪薬を得意にしているわけではなかった。麻木は 小鷺の人の良さそうな笑顔を思い浮かべた。確かに良い人間に見えた。だが、 それと同時に麻木は真夜気の放った皮肉をも思い出していた。 |