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「二人共、わたしの自慢だもの。どちらか失えば、さすがのわたしもしばらく
は口も利けなかったと思うわ」
玲子の言いぐさに思わず、麻木も目を剥いた。それが母親の言う言葉かと自分
の耳を疑わずにはいられなかった。
「今井じゃ、健一君じゃ、殺されてもこたえないと言うのか?」
「諦めが付くということよ」
コーヒーカップに手を伸ばす玲子は紫色の透き通った大きな石がはめ込まれた
指輪をしている。若々しく余分な肉を纏わない身体に無駄な装飾の一切、ない
スーツを着た彼女の全身の中でそれだけが年寄り臭い。誰かの形見だろうか。
そうでもなければ、彼女はそんないささか古臭い指輪なぞ、身に着けないので
はないか。麻木がそんなことを穿鑿している間に玲子はカップを口元へ運び、
一口だけ口に含んで、すぐに息を絞り出した。やっと吐き出したという重い、
暗いため息だった。
「あなたは驚いたようだけど。わたしはね、嘘は吐いていないつもりよ、麻木
さん。どれか一人、失ってもいい子を選べと、もし、神様に命じられたなら、
わたしは健一を指名する。それは本当なの。あの子は出来が悪かった」
玲子は紫色の石が揺らめいた光を映す指輪をはめたその手で髪を撫でた。
「健一は何一つ、わたしには似なかった。髪質さえ、ね。あの子はぐうたらで
能なしだった夫にそっくりなのよ。ずんぐりしていて、丸顔で。わたしは夫が
好きではなかった。あんなのを養子に迎えなければ、家を継がせてもらえない
女の身が憎かった。わたしの方がよっぽど利口だったから。だけどね、案外、
嫌いでもなかったのかな。あんな男の子供を三人も産んだんだから。そうね。
仕事では役に立たない人だったけど、わたしの話を根気よく聞いてくれたし、
ひがんだり、拗ねたりなんてみっともないことはしなかった。鈍感なようで、
実は彼が一番、プライドが高かったのかも知れない。彼には余裕があったのよ
ね。女の鼻っ柱が強いくらいのことでは決して、怒らなかった」
麻木は黙っていた。この不意の心情の吐露は彼女の大切な本質を知る機会なの
かも知れないが、決して、彼女が麻木に伝えたい全てではないはずだ。玲子が
本当に言いたいことがいつ、始まるのか、わからないまま、待つしか麻木には
術がなかった。
「健一は夫に似ているの。自慢には思えなかったけど、あんなに出来が悪くて
も、邪魔とは思わなかった。確かに一度も自慢には思わなかったわ。他の二人
みたいな、パッと輝く良いところなんてなかったんだから。だけど、あの子も
わたしの可愛い子供だったのよ。だって、馬鹿なりに一所懸命やっていたの。
効果は出せないけど、失敗ばかりだけど、それでも怠らずに努力していたわ。
それなのに。どうして、あんな死に方をしなければならなかったの? 健一は
他の、あの四人の馬鹿達とは違っていた。馬鹿なりに楓の負担にならないよう
に気を遣って、自制していたのに、どうして? どうして、あんな奴らと一緒
くたにされなければならなかったの? 同じレベルの阿呆じゃないでしょう、
明らかに」
母親の憤りに返してやる適切な言葉が麻木には見つけられなかった。
「申し訳ないが、奥さん、その質問はオレにされても答えようがない。オレに
だって、犯人の心当たりはないんだ。気の毒だとは思うが。申し訳ない」
「そうでしょうね」
玲子は自分を取り戻したらしい。冷ややかにそう言った。
「わたしにも心当たりはないし、芸能事務所の社長じゃ、犯人を捜すノウハウ
もない。警察すら簡単には出来ないことなんでしょうしね。第一、今時、毎日
毎日、誰か彼かが無遠慮に殺されているのよ。誰しも、明日は我が身とどこか
で腹を括っておかなきゃならないし、もし、遺族になってしまったなら、犯人
が逮捕されないこともままあると、理解しておくべきだとも思う。だけどね、
健一が誰かに殺されたことよりも、その誰かが逮捕されないかも知れないこと
よりも、何よりも、あの子の顔までが焼かれたことにわたしは我慢がならない
の。楓みたいな綺麗な、御立派な顔じゃないけど、死んだ主人に似て、悪気の
なさそうないい顔だった。近所の子供はあの子にだけ走り寄って来たわ。それ
を生ゴミみたいに焼いて」

 

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