彼女の憤りにはぶつける先、当てでもあるのだろうか。玲子は誰かを憎んで いるような、はっきりと怒気のにじんだ表情を見せている。誰を憎んでいいの か、それすらわからず、ただ泣き崩れるばかりだった他の母親達とは決して、 同じに見えない目だ。そこには何か意味があるのではないか? 麻木はぎゅっ と拳を握り込み、それから意を決して、玲子を見据える。 「奥さん、何が言いたい?」 玲子は真っ直ぐに麻木を見据え返した。 「あなたは気付いていない。だから、一つ、教えてあげようと思ったの」 「何を、教えてくれると?」 「楓のマンション、あの最上階に住んでいる男の顔、あなた、見たことがない んでしょう?」 ミーヤのことだ。麻木は真実に従って、頷いた。 「斎藤 みづきって、男が住んでいるわ。今は他の名字かも知れないけど」 麻木はようやく思わぬ形でだが、ミーヤの本名を知ったらしい。だが、なぜ、 ここで彼の名が出て来るのだろう? 脈絡がないにも程があるのではないか? 「それが何か?」 「顔を見れば、一目でわかる。あいつは楓の弟よ。楓は知らないようだけど。 間違いないわ」 あまりにも思いがけないことに麻木は言葉もなく、玲子の、彼女の息子とは 似ても似つかない整って、鋭そうな顔を見つめるばかりだった。弟。楓に実の 父親がいて、彼が楓の知らない所で新たな家庭を設けたなら、当然、ありうる 血縁。 血を分けた兄弟が、そんな近くに住んでいただと? 「いいこと? わたしが昔、健一が楓を起用すると決めた時、猛反対したのは 斎藤の、あいつの兄弟だと思ったからよ。あんな性悪に関わりたくない、健一 の手に負えるはずがないと思ったからだわ。その内、楓がまるで知らないこと に気付いて、思い直したんだけど。確かに楓は稼げそうな子だったしね」 性悪? 真夜気のあの心底、ミーヤを頼りにしている口ぶりからは連想し難い評価だ。 「性悪とはまた今時、珍しい表現だな」 「そうかしら。だったら、類い希な拝金主義者ね」 「拝金主義者?」 玲子は更に古めかしい言葉を用いた。 「そう。とんだ拝金主義者よ。あのマンションだって、元々、愛人の物だった わ。ほら、刑事なら、覚えているでしょう。墓場で死体が見つかった大金持ち の偏屈爺さん。それが斎藤の最初の愛人」 「ちょっと待ってくれ。ミーヤは、その斎藤は男だと思っていたが」 「男よ。何よ、あなた。自分の息子は男にばかり好かれて困っていたくせに、 そんなことも呑み込めないの?」 「好かれていただけで、実際に付き合っていたわけじゃない」 「そうね。彼はノーマルなんでしょうね、お堅い育ちのね」 玲子はあっさりと頷く。 「楓は女の噂がなさ過ぎた。だから、こっちでわざわざお膳立てして、悪い噂 が立たないように苦心していたのに結局、何の防犯効果もなかったわけね」 それが例の二人の恋人なのだろう。だが、ミーヤの過去とミーヤの正体が麻木 の中ではやはり、噛み合わない。大体、何を根拠に玲子はミーヤと楓が兄弟だ と言うのだろう? 「何を根拠に斎藤が楓の弟だと?」 「顔を見れば、わかると言ったでしょう? そっくり同じ顔よ。斎藤を知って いれば、誰だって、楓には触るまいと思うわ。あれが後ろにいるからマスコミ も何も言わなかった。書けなかったのよ。それは事実でしょ。そうでなきゃ、 こんな程度の騒ぎじゃ済まない。それくらい、素人だってわかるわよ」 九鬼が言っていた。楓の後ろにはヤバイのがいる、そんな噂があると。ミーヤ の経済力と真夜気の命令口調。その二つが相まって、麻木にミーヤの力を暗示 している。愛人。ただ、その一言だけが麻木には消化出来ない一塊となって、 引っ掛かっていた。 生まれつきの金持ちなのに、なぜ愛人になるんだ? 「未だ、わたしの言いたいことが理解出来ないようね、麻木さん」 「ああ」 麻木は正直に頷く。 「いいこと? 斉藤の人生なんて、わたしにはどうでもいい話なの。あいつは ろくでなしだけれど、曲がりなりにも楓を守って来た。もし、あいつの力添え が、尽力がなければ、わたしだけでは到底、どうにもならなかった。マスコミ に何もかも書き立てられて、暴かれて、いくら楓だって、あんなのんきな顔で はいられなかったはずよ。どんなやり方を使ったかは知らないけど、それでも 斉藤がガードして来たんだわ。間違いない。そんな気の回る男が楓に今、本当 に危険が迫っていると感じ取れないはずがない。そうでしょ? あれは楓より 利口なのよ。そして、もし、危険を感じているんなら、あいつは元から絶とう とする。その方が効果的で、結局、安上がりだから」 麻木は話の邪魔にならないように口を挟まなかった。 「わかる?」 |