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 時間が経過すれば、経過した分だけ和解の妨げになる。利口な小鷺がそれを
知らないはずはない。
「何でもミーヤの言う通りにする。欲しい物があるなら買ってあげるし」
そう言われたミーヤはゾッとするような笑みを浮かべて返した。彼には小鷺の
申し出が心底、馬鹿馬鹿しかったようだ。
「お金なら持っている。この一生では使い切れないくらいに。御存知だと思う
けど、僕は有名な拝金主義者だ。それに吉川の拵えた裏金は全部、僕が持って
いるんだよ。桁が違うんじゃない? あの人、死んだ時、意外なくらい遺産が
少なかったでしょ?」
小鷺は黙っていた。同じような富豪の世界に住む小鷺の方が麻木の想像なんぞ
より、はるかに具体的な数字で吉川の隠し財産の全容を理解し得たのだろう。
その全てを譲られているのだとしたら、そんじょそこらの誰かにミーヤを買収
出来るはずもなかった。
「あの人を返してくれるのなら、僕も君達のことは忘れる。でも、そんなこと
は無理でしょ。出来るはずがない」
「死んだものは仕方がないよ」
小鷺は他人事のように呟く。まるで自分には全く関わりのない出来事について
話しているようだ。
「大体、僕は吉川とは顔を合わせたことがあるって程度の付き合いだったんだ
し、あの事件とは無関係だよ。ミーヤはね、勘違いしているんだ。そうだね。
今、ここで事実確認しておくのが正解なのかも知れないね」
小鷺は相変わらず、温和で人の良さそうな顔でミーヤを見つめている。無表情
なミーヤだけが病人のように見えた。魂の傷んだ病人をなだめ諭すように小鷺
は話し掛ける。彼は教師だ。常時、未完成な人間、子供の相手をしている彼に
とっては麻木が思うより手慣れた行為であり、相応のスキルを隠し持っている
のやも知れない。
「おまえは何か、そう、勘違いしているんだよ、ミーヤ。いいかい? 吉川は
奥さんの墓参りに行って、そこで不運にも通り魔に遭って、刺殺されたんだ。
もしかしたら、金目の物欲しさの犯行に巻き込まれたのかも知れない。あそこ
は超高級霊園だからね。気の毒なことだった。でも、そんな不運な事件のどこ
に僕の出番があるって言うの? 僕だって、そんな金には困っていないよ」
ミーヤは冷たくも見える薄い笑みで一蹴する。
「墓地で良い思いが出来るのはお供え目当てのカラスぐらいだ。第一、あの人
が墓参りだなんて、あり得ない。そんなこと、七十何年の人生でただの一度も
したことがない。するはずがないでしょ、奥さんの墓参りなんて。そんな殊勝
な人ならあんなに恨まれたり、憎まれたりしない。みづきが、僕が巻き添えに
なって死ぬ日が来るんじゃないかって、そればかり心配していたんだよ、あの
人。だから、マンションの床に細工までしたんだ」
ミーヤは奥の方から輝きが洩れ出して来るような、不思議な目を細める。
「あれは吉川が僕のために作ってくれたものだった。取り越し苦労だと思って
いたけど、結局、あれのおかげで助かったらしいから感謝しなくちゃならない
んだろうね」
麻木は楓の部屋の天井、パカリと開くパネルの仕掛けを思い返す。あれは評判
の悪い老人のせめてもの誠意だったのだ。
「待ってくれ。それは吉川の性格の分析だし、おまえが連れ去られずに済んだ
理由なのかも知れないけど、それらのどこに僕が関与しているって事実がある
って言うんだよ? 事実無根もいいところじゃないか。吉川の事件と僕や父は
一切、関係ないし、大沢だって同じだよ。確かに父に頼まれれば、馬鹿な真似
はする。そこは否定しない。おまえを連れさらおうとしたのは事実だからね。
でもね、だからこそ、頼まれもしないのに大沢が自ら、犯罪行為に手を染める
なんてことはない。それは信じてくれ。彼は医者なんだ。人なんて殺さない。
わかるだろう?」
ミーヤは鈍い表情で小鷺を見据えている。聞いてはいるが、その内容を信じて
いるとは思えない、奇妙に静かな顔だった。

 

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