back

menu

next

 

「気は変わるよ。方法ならあるんだ。ミーヤが知らないだけで、確かにあるん
だ、いくらでも」
小鷺の笑み。麻木は背筋を凍らせながらその笑みを見ている。彼にはこれから
自分がしでかそうとしていることが犯罪だと理解出来ている。わかっていて、
尚、それを楽しもうと心積もりしている。この男には捕まらなければ何をして
も構わないという確信があるに違いなかった。捕まりさえしなければ、やって
いないのと同義だとでも言うような。だが、麻木の戦慄とは関係なくミーヤは
静かにただ、立っている。ミーヤは怯まなかった。彼は一つ、仕方なさそうな
ため息を吐くと、小鷺を見つめ、言ったのだ。
「手を放して。それから、あの窓の前まで行って」
小鷺はミーヤが言い出したことの意味がわからないらしく小首を傾げ、納得が
いかない顔で、それでも掴んでいた手を放した。九鬼が訝しそうに小鷺の動き
を見ている。目的が達せられない内にミーヤの手を放すとは、あまりにも意外
だったのだろう。小鷺は満願成就を目前にしてミーヤのために、自分の欲望を
今更、我慢する人間ではなかった。
___しかし、なぜだ?
 麻木も九鬼と同じに小鷺を見つめる。小鷺の不可解な動き。彼は窓の前まで
わざわざ歩いて行きたくもなさそうだし、行く必要性も感じていないはずだ。
小鷺には窓に近付く理由がない。それにも関わらず、小鷺は歩き始めていた。
のろのろとゆっくり、しかし、確実に小鷺の身体は窓へ近付いて行く。やがて
言われた通り、小鷺は窓の前で立ち止まった。あの窓の外にあるものは一体、
何だろう? 上部には空が、下部には地面へ続く五階分の空間があり、それは
もし、軽はずみに身体一つで飛び出してしまえば、死へと続く道に変わるもの
やも知れない。確実な死は約束されない嫌な高さだとも思えた。小鷺の小さな
顔は青ざめていた。なぜ、自分がしたくもないことを第三者に言われるまま、
実行するのか、理解出来ずに苦しみ始めているのだ。
「どうしてだ? 僕は窓になんか、用はないのに。どうしてなんだ?」
ミーヤは小鷺の質問を受け付けず、続けて言い放つ。
「その窓、開けて」
 小鷺がミーヤに命じられるまま、大きな窓を開け放つと、四月の風が一息に
流れ込んで来た。明け方までの雨が上がり、生温く、湿った風が部屋の中央に
立つミーヤの髪までも僅かに揺らした。窓辺に立った小鷺など風にあおられ、
ぐらつくほどの強風だった。
「ミーヤ」
小鷺は絞り出すようにそう呼んだ。さすがの彼にも余裕はない。なぜ、自分が
言われるままに動いてしまうのか、それさえわからないのだ。拒む術など知る
はずもない。茫然と眺めるばかりだった九鬼が我に返ったように声を上げた。
「待ってくれ。何をしようとしているんだよ? 友達だろ? これ以上は危険
だ」
九鬼は更に叫ぶ。声を張り上げるしか、ないのだ。
「やめるんだ。なっ。小鷺をこっちへ呼び戻してくれ。今日は風が強いんだ。
痩せっぽちなんだ。開けた窓の側にいるだけでも危険だよ。な、ミーヤ。頼む
から。頼むから、オレの言うことを聞いてくれ」
ミーヤは表情に何の変化も見せなかった。承知したとも思えない無表情。もう
その能力のメカニズムがわからないからと呆気に取られている事態ではない。
例え、小鷺が連続殺人犯の一人でも放っておくわけにはいかなかった。ここで
小鷺を見殺しにすれば、それこそ犯罪だ。傍観することで人に人を殺めさせ、
人に命を失わせることになる。麻木はとっさにミーヤの腕を取った。
「つまらないことはよせ。後であんたが後悔するだけだ。止めるんだ」
鈍くも見える表情でミーヤは麻木を見た。

 

back

menu

next