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 ミーヤが去って、茫然と立ち尽くす麻木を追って出て来たのは九鬼だった。
もう彼に殺される不安は感じない。九鬼はあまりにも切羽詰った真顔だった。
ぐずぐずしている時間など、一刻もない。そんな態だった。駆け付けて来ると
同時に九鬼は切り出した。
「オレはミーヤが好きだ。だけど、楓が嫌いなわけじゃない。小鷺みたくどう
でもいいとは割り切れない。ガキの頃からのダチだ。いや、あいつしか、ダチ
なんていなかったも同然だし、あいつは他の誰よりオレを理解して、期待して
くれた。実の親よりもな。専門学校に通っている頃、本当に生活は厳しかった
し、将来を考えれば不安でたまらなかったけど、時々、街で会う度、あいつが
ニコッてしてくれて、それが励みになった。何とかなるんじゃないかって夢も
見られたし、実際、あいつのコネでチャンスを掴めた。恩があることくらい、
わかっているんだ。だから、あいつが惨殺されてもいいとは思えない。あいつ
が誰に何をされてもいいとはとても思えないんだ」
一息に九鬼はそう言った。
「何か、何か知っているのか?」
期待を込めて、問う。
「楓は人と会うって言っていた。あのおでん屋で、だ」
「おでん屋って、壮六か?」
「ああ。子供の頃から知っているおばさんだって言っていたからな。気にして
いなかったけど、それきり帰らないなら話は別だ。あの女も嘘吐きの一人だ」
「あの女って、まち子か? まち子が何で?」
「あんた、騙されているんだ。あの女、あんたの甥っ子と付き合ってる。あの
弁護士と出来ているんだ、長いこと」
廉だ。
 麻木は自分の心臓が早鐘のようにかき鳴らされるのを止めることも出来ず、
息苦しさを我慢しながら車を走らせる。街中が自分の邪魔をしているようだ。
もどかしさで気がおかしくなりそうだ。それでもどうにか交通ルールに従って
車を進め、荘六をめざした。そこではまち子が横たわっていた。彼女は座敷で
一人、ゴロリと横になっている。彼女らしからぬ行儀の悪さだが、人目がない
所ではこんなものだったのかも知れない。所詮、麻木はまち子が自分に一方的
に見せる姿しか知らない。彼女の本当の姿も、その心の中も知らなかったし、
そんなことを考える理由もなかった。
 麻木が突然、乗り込んで来て、自分を見下ろしていることに気付くとまち子
は驚愕の表情を浮かべ、だが、すぐにそれを嬉しそうな笑顔へとすり替えた。
「あら、旦那。嫌だ。お行儀の悪いところ、見られちゃったわね。でも。旦那
がいけないのよ。一言、向こうから声を掛けてくれればいいのに。意地悪ね」
まち子はさもだるそうに、のろのろと起き上がる。
「何だか、だるくってね。風邪かしらね」
ミーヤもひどくだるそうだったし、姉の彩子には頭痛を訴えていた。
「頭も痛いんじゃないのか?」
麻木は自分の声が他人のものかと思うほど、冷ややかで怒りが滲んでいること
に気付いていた。
「あら、よくわかるわね。さすが刑事さん。大した洞察力ね。ああ、典型的な
風邪の初期症状よね。これからでも医者に行こうかしらね」
とぼけている。麻木は憤りのあまり、破裂しそうだった。麻木がどれだけ今、
消息の知れない楓の身を案じているのか、麻木の人生をそっくり見て来た彼女
にわからないはずがない。誰よりよくわかっているはずなのだ。
「楓は、楓はどこにいる?」
まち子は一瞬、凍り付いたものの、その刹那、見せた白い顔をスッと解凍し、
何食わぬ顔を取り繕った。昆虫並みの色鮮やかな変わり身だ。
「知らないわよぉ。年末に会ったきりだもの」
「嘘を吐くな。おまえが楓を呼び出した。おまえと会うからと楓は出掛けた、
それっきり行く方知らずなんだ」
まち子は相変わらず、笑っている。麻木くらい、酔客同様、簡単にあしらえる
とタカをくくっているのは明白だった。
「そうなの。それは心配ね。確かに約束はしたわよ。でも、会ってはいないの
よね。楓ちゃん、忙しいからキャンセルされちゃったの」
「何で、おまえが楓と会わねばならないんだ?」
まち子は予め考えていたのか、何の迷いもなく答えた。
「あら、大事な行事が控えていたからよ。一緒にお兄ちゃんの退職のお祝いを
考えましょって。再出発ですものね、お兄ちゃんの。新たな門出だものね」

 

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