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 楓を呼び出すためにまち子は麻木をダシに使った。そう思うと麻木は憤りの
余り、この女を殺したいと思った。ニコニコと笑いながら嘘を吐き続ける女。
こんな性悪のために麻木に何一つ、嘘を吐かなかった楓を失いたくなかった。
「もう嘘はいらん。オレが知りたいのは楓の居場所だ。どこにいる? どこに
連れて行かれたんだ?」
まち子は怒り狂った長身の男を目の前にして、まるで怖がっていない。酔客を
あしらう手並みで麻木も手玉に取る心積もりなのだろう。九鬼が見せた狼狽が
可愛らしく思えるほど、この女は図々しい。まち子はあくまでも自分の保身に
努める気だし、それが叶うと見込んでいるのだ。
「お兄ちゃん」
彼女は随分と懐かしい呼び方をした。
「いいこと? あたしはこの二、三日具合が悪くて、大事な店も休んでいるの
よ。楓ちゃんには会っていないし、お兄ちゃんが何を言っているのか、正直、
さっぱりわからないの」
「おまえが何を考えて動いているのかは知らないし、おまえが誰と付き合って
いたってオレには関係ない話だ。好きにすればいい。だが、廉と結託している
ことはわかっているんだ。おまえ、楓を廉に渡したんだな」
まち子は苦笑いした。
「あたし、年下の男になんか、興味ないわ。十五も年下の男と付き合わないわ
よ」
「おまえの男の好みなんぞ、知らん。事実を言え。楓を廉に渡したんだな」
「何を言っているのか、さっぱりわからない。本当にお兄ちゃんはわからない
人だわ」
まち子は苦しそうに息を吐く。
「熱っぽいのよ。病院、行かなくちゃ」
まち子は独り言のように呟く。それは周囲の同情を引き、都合の悪い話の焦点
をずらす、子供の頃からの常套手段だ。いつだって、まち子はその手で麻木の
両親の関心を集めて来た。少しくらいの痛みは我慢するように強いられて来た
実の息子の自分と、仮病を使って甘やかされ、いい思いをして来た隣家の娘。
不仲の両親の代わりに例え、隣家であっても、そこでは娘のように可愛がって
欲しいと願う幼い気持ちは理解してもいい。過去のことと割り切りもしよう。
だが、まち子は今度はその麻木をダシに使い、楓をおびき寄せたのだ。それが
長らく理不尽な仕打ちを耐えた隣家のお兄ちゃんとやらに返す仕打ちなのかと
思うと、老いた身も震え出すようだった。だが、まち子になぜ、楓を廉に引き
渡す片棒を担ぐ必要があったのか。何のためだ? 
「おまえ、オレを馬鹿にしているのか。オレは楓の居場所を聞いているんだ。
一刻を争う事態なんだぞ。こんな馬鹿な話をしている間にもし、楓が殺される
ようなことになったら、どうしてくれるんだ?」
まち子はしばらくの間、動かなかった。ややあって、それからため息を吐く。
ようやく麻木は事実を知っていると観念したのだろう。愛想笑いを捨て、随分
としらけた顔へ変わっていた。
「お兄ちゃんは結局、楓ちゃんしか見ないのね。あたしはこんなに具合が悪い
っていうのに」
「おまえは都合が悪くなれば、毎回、必ず腹が痛くなった。いつもの口癖じゃ
ないか。そんなものに付き合う義理はない。楓はどこだ? 気にならないのか
? 心配じゃないのか?」
「知らないわよ」
まち子はいきり立ち、吐き捨てる。
「何で、あたしがあの子の心配しなくちゃならないの? あいつは疫病神よ。
あたしとお兄ちゃんの一生を台無しにするために生まれて来たようなものじゃ
ないの? あいつさえ、いなければ。お兄ちゃんはあたしと結婚して、幸せに
なれた。あんな奴、もっと早く消えればよかったのよ。今すぐ地獄に堕ちれば
いいのよ」
 麻木は呆気に取られ、まち子の血走った目を見下ろしている。荒い息の下で
舌をもつれさせながらまち子は口走る。彼女に重りとして課せられていた何か
が弾け飛んだように、まち子の口は止まらなくなっていた。
「ずっと邪魔だったのよ。皆、あいつが邪魔していたんだもの。やっと消えた
んだよ。それなのにどうして、お兄ちゃんは喜んでくれないの? あたし達、
やっと一緒になれるのに」

 

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