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「あいつさえいなければ、誰もあたし達を邪魔しない。節子さんだって、そう
よ。あいつがあたしとお兄ちゃんの結婚は嫌だって言い張るから、それであの
人、反対しているんでしょ。あたしを諦めさせようと頑張っているんでしょ。
あいつが、あいつさえいなくなれば、節子さんは邪魔なんかしないって聞いた
よ」
誰が、まち子にそんな嘘をたきつけたのか。自分に都合の良いことならいとも
簡単に信じ込んでしまうまち子相手に。麻木は白い目を思い出す。あの生もの
じみた嫌な目を。
「あたしだって、好きで廉君と付き合っていたんじゃない。お兄ちゃんの話を
聞きたかったの。お兄ちゃんの話をしたかったのよ。わかる? 廉君はあいつ
と付き合いがあるから、お兄ちゃんの話にも詳しいから、それで会っていたの
よ。本当よ。あたしの心は、いつもお兄ちゃんだけを好きだった」
 麻木はゆっくりと自分の記憶をなぞってみる。あの年の瀬、荘六でまち子が
田岡に暴露した昔話。あれは麻木や楓ではなく、廉が洩らしたものだったので
はないか。そう言えば、あの日、公園には廉も連れて行ったような気がする。
まるで記憶に残っていなかったが、確かに廉もいたのだろう。麻木は懐に今も
忍ばせる写真を思い出した。幼い楓。兄夫婦と自分。楓が誰に向かって笑って
いるのか、特に気に留めたことはなかった。ただ、写真を見る度、楓の笑顔が
愛らしいと思った。
___そうだ。
写真には撮影者がいる。この写真を撮ったのは廉なのだ。
 その廉は自宅マンションに戻っていなかった。どう見ても用心深そうな廉が
楓を自宅に持ち帰るはずがない。ならば、どこかに、小鷺や九鬼にも知らせて
いない隠れ家を持っているはずだ。
「廉はどこだ? 急がなくては間に合わないんだ。まち子」
呼び掛けてみるものの、まち子の反応は鈍い。麻木の言葉を理解出来ていない
のではないか。まち子は茫然と麻木を見上げる。虚ろな目と半開きの唇。彼女
の方こそ、入院なり、治療が必要なのではないか。これ以上は時間の無駄だ。
麻木が踵を返そうとした時、呆けていた彼女が口を開いた。
「お兄ちゃんは結局、楓ちゃんが好きなのよ」
麻木はまち子へ視線を戻した。畳の上に両手を付き、まち子は更に呟く。
「お兄ちゃんは楓ちゃんを愛しているんだ」
麻木は彼女が何を言い出すのか、わからなかった。
「オレの子供なんだ。大事に決まっているだろう」
「ごまかさないでよ。皆、知っている。あれは、お兄ちゃんの子供じゃない。
よその男の子供だ」
「藪から棒に何を言い出すんだ」
「お兄ちゃんだって、他人だって知っている。だから、子離れ出来ないんじゃ
ないの? 息子じゃないから他人に渡したくない。いつまでも自分の物にして
おきたいんだわ」
「何を言っているんだ?」
「わかるわよ。お兄ちゃんが楓ちゃんを見る目はね、親が自分の子供を見る目
じゃない。あたしに子供がいないからって、馬鹿にしないでよね。いないから
こそ、ちゃんとわかるの。親が自分の子供を見る時の愛おしさでピカピカ光る
優しい目は特別だよ。あたしがあの清々しさを見落とすはずがない。だって、
あたしは自分の親にそんな目で見られたことがないから」
まち子はやるせなげに息を吐いた。
「ずっと憧れていたんだよ。見落とすわけがない。あたしはいつもそんな目で
あたしを見守ってくれる人が欲しかったし、そんな目で見守ってやれるあたし
とその人の子供が欲しかった。あたしとお兄ちゃんの子供が欲しかったんだ。
だからわかる。絶対、見誤らない」
「おまえなんかに何がわかると言うんだ?」
「お兄ちゃんが楓ちゃんを見る目は、息子を見る目じゃないってことが、よ」
「だったら、何を見る目だって言うんだ?」
「恋人よ」
まち子は胸を張って、そう答えた。自分の解答に自信があると言わんばかりの
勝ち誇った顔つき。麻木は呆気にとられ、しばらくの間、まじまじとまち子の
興奮で赤らんだ得意げな顔を見つめた。それから、麻木は失笑した。
「何が、おかしいの?」
「おまえは妄想狂だ」

 

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