見誤りや妄想ではなく、あの日、カホが書いていたのは確かに麻木に宛てた 手紙だったのだ。だが、それをなぜ、ミーヤが知っていて、それをここ、荘六 にまで取りに来たのか。 「カホは手紙を書いていたようだった。だが、どこにもなかったんだ」 「彼女が持ち出したからですよ」 麻木はまち子を見下ろした。青い怯えた顔。死に神にでも出くわしたかのよう にまち子は震えている。自分の罪を認めているようなものだった。 「まち子が? だが、どうして、まち子が? それに、いくら何でもあんたが カホがオレに残した手紙のことを知っているはずはない。あんたが生まれる前 のことなんだぞ」 「別にうちでは珍しい力じゃありません。どうやら僕は蝋燭が消える前のよう なものらしい。本当は見たくないと思えば見えないはずなのに、やたら何でも 見えて止められないんです」 麻木の怪訝な顔をミーヤは薄い笑みで見やる。笑いさえすれば、この上もない ほど優しい、綺麗な顔だった。老木のような楓とは異なる気配の、その正体を 麻木はしばし考え、思い付く。 ___ああ。匂いのようなんだ。 水のような楓と香水のようなミーヤ。ミーヤには小瓶に詰め込まれた香水の ような印象を受ける。人を惑わしもするが、慰めもするごく僅かな水。それは 決して、長い命を誇る物ではない。麻木はそこまで思い付いてしまったことを 悔やんだ。そんな思い付きもミーヤには聞こえてしまうはずだ。長生きしない と決め込んでいるミーヤの背を押すようなことをしてしまった。そう悔やむと やはり、ミーヤは麻木の心配を見たらしく、笑みを浮かべて見せた。 「残り三ヶ月程度ですね」 「何を根拠に?」 「死が近付いて来る足音が聞こえるんですよ、僕。だから、病院は嫌いです。 誰かの病室を訪ねて歩いていると、耳鳴りがして今日はこの人で、明日はあの 子だってわかるんです。気が滅入りますよ、絶対に外れないから」 「だが、そうだ。待て。真夜気は自分や親しい者の危機はわからないと言った ぞ」 「彼はああ見えて、死を恐れていますから。無意識にセーブ出来るんでしょう ね。でも、僕はずっと長生きはしないものだと思っていましたから。だって、 長く生きるなんて思っていたら、とても耐えられなかった、あんな毎日には」 ミーヤは優しそうな顔のまま、まち子を見た。 「では、カホさんの手紙を返して下さい。あれは麻木さんが読むものだから」 「そんなの、知らない」 まち子はこの期に及んでしらを切る。尤も彼女はミーヤの力を知らない。彼が 三十五年も前の出来事を知るはずがないと思うのは当然だろう。ミーヤは表情 は変えなかった。 「僕はあなたの当日の行動をそのまま言えますよ。それでもいいんですか?」 「見て来たように嘘を吐くってやつね。いいわ。好きなように喋りなさいよ」 まち子は笑い顔を取り戻し、言い放つ。ミーヤの能力を知らない彼女はこの場 を乗り切れると考えたのだ。ミーヤはまち子のせせら笑う顔を見下ろした。 「あなたは朝早く麻木さんのお宅を訪ねた。白いブラウスと、赤いスカート。 臙脂色に近いのかな。麻木さんがあなたにカホさんと結婚すると報告した日に 着ていた物に似ていますね。あなたが何をしに麻木さんのお宅へ行ったのかは 言わないけれど、あなたは前日までとは違って、定刻になっても起きて来ない カホさんを不審に思った。それで裏口から覗いていたら、玄関から夜勤明けの 麻木さんが帰って来た。家に入った麻木さんは既に亡くなっていたカホさんを 見付け、医者を呼びに飛び出した。そのただならない様子を見たあなたは事態 を察し、悠々と正味、無人の家に上がり込んだ。カホさんがいなくなった後、 やがては自分が入るつもりの家に。そして、物色するまでもなく、すぐにカホ さんが麻木さんに宛てて書いた手紙を見付けた。どこにあったものか、覚えて いますね。食器棚でしたよね」 |