「あれだって。あれだって、おまえの女だって、そう思ったから殺したんだ。 断じて、面白半分で殺したんじゃない。オレにはあの女を殺す理由があった。 それのどこが悪いんだ? 妬ましかったんだ。何もかも持っていて幸せそうな おまえが羨ましかったんだ。頼むよ、楓。ここを開けてくれ。おまえが半分は 憎かった。だけど、残りの半分は本当に好きだった。愛していた。独り占めに したかっただけなんだ。聞こえているよな、楓。そこにいるんだろ?」 胸が圧迫され、もう満足な声が続かない。首にまで到達した無慈悲な水は泥を 含んでいた。まるで五歳の楓を飲み込んだあの用水路の水だ。そう廉が思った 瞬間、天井から一気に濁流が流れ込み、それに飲まれて廉は失せていた。 濁流が立てる轟音が収まるのを待って、楓はドアを開けた。そこにあるのは 無惨な、バスルームだった跡。泥と流木と流されて来た生活用品が転がった、 それだけの空間だった。楓は無表情にそれを見やってから、背後に歩み寄って 来た笠木を見た。頭蓋骨を抱えたまま、笠木はバスルームを覗く。空っぽだと も言える室内の荒れ方すら、彼は気に留めなかった。 「どこにやったの?」 「三十年先」 楓もこともなげに答え、笠木は何でもないように頷いた。 「目が覚めたら、大パニックだね」 「ま、同じ地球だから大丈夫だろう。どうやら何でもなく送れるものらしい。 身体に影響はないんだな」 「実験だったんだ」 揶揄するように笠木が言う。それを受けて、楓は微笑んだ。 「自分の身内で実験なんてしないでしょ。そんなこと、出来ない。何かあった ら困るもの」 「何を企んでいるの?」 不思議そうに笠木が尋ねる。それを受けて、楓は堅い表情を見せた。 「残念ながら過去には触れない。何も出来ない。でも、未来なら、もしかした ら、何か出来るかも知れない。ささやかなことだろうけど、それでも何かを」 笠木は異母兄の思考を見て、それから呟いたようだった。 「考えることが多くて、大変だね。僕は当分、何も考えたくないかな」 「これからどうするの?」 「一度、家に帰る。父が心配しているから。落ち着いたら、また出て来るよ。 ミーヤのことは放っておけないし」 「そうだな。ユーマがいてくれた方がいい。双子だし、人生最初の友達だから ね」 笠木は頷き、それから思い出したように楓の方へ右手を差し出した。 「これ、あげる」 笠木は楓の手に指輪を乗せた。青い、小さな四角形の石が三つ、埋め込まれた 金の指輪。それを見て、楓が小首を傾げる。 「環さんに贈った物なのに? お母さんの形見でもあるのにいらないの?」 笠木は苦笑いして見せた。 「骨じゃ、指輪は嵌められないよ。第一、マキに贈った時からマキの指輪で、 母の形見でもない。それはマキの指輪だ。だから、彼女にあげて。彼女はマキ の妹なんだから、嵌めてくれたらマキも喜ぶ」 笠木はため息を吐いた。 「環の妹が楓さんの彼女だなんて、僕らの世界は狭いね。マキはこんなこと、 想像もしていなかっただろうけど、よく妹の話をしていたよ」 「僕があの時、水に流された時、目を閉じてしまわなければ、こんな状態には ならなかったのかも知れない。ちゃんと目を開けて、現実に対処していれば」 「あんたが自分を責めるようなことじゃない。五歳児が報復だって、人を殺す ようじゃ、いけない。そんなこと、誰も望んじゃいないから、目を閉じたんだ よ、きっと」 「ありがとう」 「あんたの方こそ、これからどうするの? 忙しそうだけど」 「一先ず病院へ行って、小娘二人を呼び戻す。身内は多い方がいいからね」 「よっぽど一人になりたくないんだな」 笠木が呆れたように言うと、楓は苦笑いした。 「まぁ、ね」 「じゃ、また。達ちゃん、帰ろう。静岡まで運転してね。僕は両腕が塞がって いて、ハンドルを握れないからね」 「うん。運転してあげる。運転は得意。高速大好き」 少し距離を置いた所で待っていた達は笠木が振り向くと、嬉しそうに大きく 頷いた。達が運転する車で笠木は彼の家へ帰って行く。それを一人、見送った 楓はただ、じっと待っていた。 |