行く先の知らされぬドライブの果て。点在する高級別荘は闇に紛れ、詳細は 知れないが、どれもさも高級に見えた。こんな所に連れ込まれては島崎の助け なしに辿り着くことは到底、叶わなかったことだろう。 「あの奥。いた」 島崎に教えられ、麻木は楓が奥まった山荘の入り口に設えられた段差に座って いるのを認め、止まりきらない車から飛び出した。 「楓、無事か」 興奮して叫んだ父親に比べ、息子は平静で、軽く頷いただけだったが、それで も麻木は満足だった。命さえあれば、それ以外に何を求めるだろう。あの日と 同じように楓は一人で麻木の到着を待っていた。抱き締めた身体は乾ききらず に濡れている。廉が楓を水の底に押し沈めようとしていたことが見て取れた。 「よく無事でいてくれた。良かった」 「うん」 麻木は楓を抱き締めたまま、しばらく放心していた。そしてふと、我に返り、 もう一人、いるべき人間がいないことに気付いた。 「あいつは? 廉は、廉はどうした? あいつ、逃げたのか?」 父親の問いに楓はこともなげに答えた。 「水に流した。昔のことと一緒に。もういないんだから、それでいいでしょ」 麻木は楓の顔をまじまじと見つめた。穏やかな表情が不思議なものに見える。 命拾いした直後だというのになぜ、こうも冷静でいられるのか、それが不可解 だった。 命拾いすれば。多くの場合、人は躁の状態となるものだ。命を奪われるかも 知れない。そんな恐怖から開放された安堵から一層、気を高ぶらせて、自らの 体験を声高に語らずにはいられない。そうすることで自身の無事を再認識し、 ようやく恐怖を過去とすることが出来るのではないか。それに楓は一体、何を 水に流したと言うのか。 ___昔のこと? 廉が幼い楓を増水した用水路に突き落とした一件のことなのか、それとも楓に つきまとっていた、それだけとも言える人間を溺死させたことなのか。大体、 もういないとは廉が逃げたということなのか、楓が逃がしてやったということ なのか。楓は麻木の表情から何かを見ていたらしい。目が合った瞬間、麻木は そのヒンヤリとした気配にたじろがなければならなかった。 「廉ちゃんはもう、ここにはいない。だから、法律で彼を裁くことは出来ない んだ」 楓はわかり難い言い方をする。ここにいないというのは逃げられたということ なのか、それとも故意に逃がしたということなのか、それすら判断しかねた。 廉がここにはいないのだとしても。弱ってはいただろうが、楓がむざむざ取り 逃がすとも思えない。 「おまえが逃がしたのか?」 「僕はそれほどお人好しじゃないよ。ただ、彼がこの世で有罪になったら困る から、もう少し先へ送っただけ。だって、伯父さん達がかわいそうだよ。もう 六十過ぎて、七十に近くて、これからやっと一息吐けるのに、息子が連続殺人 犯の一人じゃ、ね。伯父さんも伯母さんもひたすら真面目に働いて来たのに、 外も歩けなくなるんだよ。それに。お父さんも面目がないでしょう。警察の人 だったのに甥が犯人じゃ、立場がない。皆の老後が台無しになる。だから、廉 ちゃんが逮捕されるのは避けたかった」 楓は伯父夫婦と父親の世間体のために、廉が殺人犯として逮捕されることを 望まなかった。その行動の是非はともかく、楓がそう考えるに至った経緯なら 麻木にも理解出来た。それは麻木が繰り返し言い聞かせ、楓に植え付けた発想 だからだ。しかし、先に送るとは一体、どういった意味なのか? 「先に送るって? 先って、どこだ?」 「言葉通りだよ。三十年先に送った。目が覚めたら、ビックリだろうな」 楓は日常の、何でもない話のように言ったが、麻木は返す言葉が見当たらず、 言葉を忘れたように無言のまま、楓の涼しい顔を見つめていた。人間を三十年 先に送る。確かにそう聞いたが、俄かに納得出来るものではない。小包を他人 の家に届けるように、人間を三十年先とやらに送るなど、出来るわけがない。 そう思うのだが、麻木は楓になら可能かも知れないと理解し始めていた。島崎 が言っていたこと。独裁的な曾祖父でさえ、機嫌を損ねることを恐れ、楓には 手出ししないだろうと島崎は言った。楓は一族の中でもずば抜けた能力の持ち 主なのだ。近い未来の読める島崎より、人の心を見透かす真夜気より、催眠術 で人を操るミーヤよりも更に上の能力。だとしたら、麻木には想像も出来ない 離れ技があるのではないか。カホがマンガだと言った、現実離れした力が楓に はあってしかるべきなのだ。 「ねぇ、お父さん」 楓は麻木が聞き慣れた調子で切り出して来た。 「僕はお母さんが心配していた通り、七割の、それも特別、質が悪い方の人間 みたいだよ。お父さんはお母さんが望んだ通り、僕には関わらない人生を選ぶ べきなのかな」 「どういう意味だ?」 「お父さんが自分を曲げて、自分を騙して、我慢して、そこまでして僕の傍に いてくれることがお父さんの幸せなのか、僕の幸せなのか、わからないんだ。 だから、お父さんに決めて欲しい」 「オレは、未だ何も理解出来ていない。幾ら聞いても、何年経っても、オレの 頭には処理出来ない話かも知れない。だがな」 正直に麻木は打ち明ける。 「面倒でも、何でも話して欲しい。そうしてくれても、オレには飲み込めない ことばかりかも知れないが、出来るならおまえを理解したい。理解して、役に 立ってやりたい。それがオレの願う幸せだし、カホもわかってくれる。きっと そう、望んでくれるだろう」 「ありがとう」 そう言って、楓は小さく頷いたが、それ以上、話す気はないようだった。 「そろそろ東京に戻ろうか。僕も用があるし、お父さんは伯父さんと伯母さん に付いていてあげて。不安だろうから」 「そうだな」 麻木が戸惑いながら、それでも頷くのを見て、楓は車の脇に立ち、こちらを 見守っていた島崎の方へ歩いて行った。おそらく初対面だろう二人はしばらく 話し込んでいた。麻木にはその内容は聞き取れないものの、二人が当たり前に 話す様子は見えた。ぎごちなさだとか遠慮はない。最後には楓が笑ったくらい だ。その笑顔のまま、楓は麻木を手招いた。 「お父さん、早く。帰ろうよ」 子供が遊びに行った先から帰ろうと急かすような調子。いい加減、遊んだ後、 テレビの時間を気にし始めたような気軽さに麻木は圧倒されていた。 |