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 最上階全てを占有するミーヤは一対三の比率でフロアを二つに仕切り、使い
分けていると言う。普段、真夜気が入り浸り、麻木が通されたのは一、狭い方
だ。そして今日、麻木は初めて残りの三、広い方に足を踏み入れる。小鷺すら
入ったことがない部屋はいつもの部屋に比べて、随分と重々しく薄暗かった。
ミーヤのような若い男の暮らす部屋ではなく、老人が一人、書物を読みながら
隠遁していそうなおどろおどろした気配が寂しげにしかし、威圧して来るよう
だった。真夜気が好むいつもの部屋の清潔な明るさは皆無で、正直、一歩足を
踏み入れた時から既に居心地が悪い。とてもミーヤの趣味と思えない室内には
そこら辺中に荷物が置かれ、まるで大層、高価な品々を詰め込んだ倉庫のよう
だ。暮らすための空間ではなく、いっそ、貴重品を保管する物置なのではない
か。そんなことを考えた。
「物凄い量だな。絵とか、壺とか、置物とか、骨董屋か画廊みたいだ」
「半分は吉川がくれた物ですよ。残りは」
ミーヤは目を細める。
「賭けで勝った時の、戦利品かな」
賭け。本当に命まで賭けるそれ。麻木はミーヤの手首の傷を思い出し、ぞっと
しなければならなかった。無事で良かった。そう思った。
「何であんたが拝金主義なのか、ピンと来ないんだが。楓は無頓着な方だし、
真夜気も金の計算なんてしそうもない。正直、どこでそんなことになったのか
想像も出来ん。何がきっかけなんだ?」
麻木は率直に尋ねた。遠回しに聞くだけ無駄だ。何しろ、彼は聞かれなくとも
答えることの出来る特異体質の持ち主だ。
「そうですね。昔、そう。元々はヴァイオリンのためでしたね。師事していた
先生、つまり、まいちゃんの御両親は人は良い方でしたが、それだけに三人の
娘のために貯金をしておこうと考えていたみたいで。結果、かなり、授業料は
高くて、結構な額だったんです。小鷺のような家に生まれたわけではないし、
義理の父には期待出来なかった。だから、かな。あの頃はただヴァイオリンの
勉強を続けるためにお金が欲しかったんです」
小鷺が言っていたこと。ミーヤには才能があった。麻木は歯噛みする。才能が
あるがためにミーヤはヴァイオリンを断念出来なかった。輝かしい才能を持つ
がためにミーヤは悪名高い老人の誘いをはねつけることが出来ず、普通の高校
生として踏み止まることが出来なかったのだ。
___才能がなければ、そんな選択を迫られることもなかったのに。
 だが、現状、ミーヤはヴァイオリニストではなく、実業家だ。そうまでして
選んだ道をなぜ、諦めたのか。楓のようになりたくもない歌手になるような者
がいるにも関わらず。
「なぜ、やめたんだ?」
「左手を傷めたんです。指が二本、動かなくなってそれっきり。それで若干、
気もおかしくなって、義父に入院させられました。今でも雨の降る前には疼く
んです。忘れられないくらいに」
ミーヤは目を伏せ、しばらくそのままでいた。思い出したくないことを麻木は
思い出させてしまったらしい。
「余計なことを聞いてしまったな。すまない」
「いいえ」
ミーヤは目を開いた。透明感のあるその目があと三ヶ月で二度と開かれること
がなくなるのだと思うと心底、悔しかった。何もない麻木はこの歳まで無事、
生きて来たし、指だって動く。せめて指くらい、取り替えてやれないものか。
ヴァイオリンに賭けていたものが大きい以上、その肝心な指を失った心の痛手
は計り知れなかった。弾けなくなってから今日までの毎日は彼にとって、さぞ
辛いものだったことだろう。何のために愛人にまでなったのか、わからないで
はないか。
 ミーヤは麻木の苦悩には付き合わず、一旦、部屋を出て行き、すぐに着替え
を済ませて戻って来た。くつろいだ服装に変わったものの、気を抜いた感じは
しない。どこかでいつも周囲に神経を配っている様子があった。まるで小ぶり
な草食動物だな。麻木はふと、そんな戯言を思った。実際、ミーヤはいつ心の
底から、身体中から力を抜いて楽になれるのだろう。
「アゲハさん、島崎さんを呼んで来てくれませんか。ええ、お願いします」
ミーヤはそう頼み、ソファーに腰を下ろした。やはり、麻木には何も見えない
が、すぐに島崎はやって来た。彼は玄関のある方ではなく、部屋の奥から出て
来た。きっとどこかで繋がるいつもの部屋の方にいたのだろう。
「土田を通して」
「土田を? かなり取り乱している。会わない方がいい」
「平気。何を言われたって、慣れているもの。構わないよ」
島崎は何か、言いたそうな表情を見せたが、何も言わなかった。言っても無駄
と承知しているのだろう。ただ、ひどく心配そうな視線をミーヤに向けただけ
だった。ドカドカと入って来た土田はほの暗い室内に麻木もいることに気付く
と、さすがに驚いたようだった。

 

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