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「あれには空恐ろしいところがあるの。間違いない」
「空恐ろしいところ?」
節子は頷いた。
「あれが子供の頃、やっていた遊び方を見て、どんなにわたし達夫婦が慄いた
か、絶望したか、優しい息子を持ったあなたにはわからない。廉はね、そんな
ことをする子供がまさか、本当にこの世にいるだなんて、想像もしないような
ことをして、楽しんでいた」
節子は嗚咽を堪えながら、そう言った。
 麻木は薄暗い光の中で兄夫婦のやつれ具合を見ていた。仲の良い二人、その
絆は共有する苦痛から派生していたとでも言うのだろうか。
「一人息子が恐ろしい真似をして、その上、それを心底、楽しんでいる。そう
気付いた時のあの気持ちは絶望でも、後悔でも言い表せない。わたしだって、
出来ることなら方向転換をさせてやりたかった。でも、何をやっても一人息子
の興味を逸らすことが出来なかった。たった一人しかいない相手なのに。改心
させることが出来なかった。報われないまま、日が過ぎて、やがて気付いた。
あれはどうにもならない、持って生まれた資質だって。わたし達には手の施し
ようがなかった」
「一体、何をして遊んでいたと言うんだ?」
節子は押し黙った。口に出すこと自体、彼女にとっては耐えきれない苦痛なの
だ。代わって、兄が答えると決めたようだった。重い、辛い口調。一言ごとに
兄と妻の幸せが削られて行くような沈痛さを伴っていた。
「バケツいっぱいに水を張って、そこに生き物を押し込むんだ。最初は小さな
虫だった。その時は当然、節子は嫌な顔をしたが、オレは正直、そんなに気に
しなかった。子供は残酷なことをそれと気付かずにするもんだ。知らないから
悪さをする。いや、悪さが出来る。でも、その内、間違いに気付くもんだよ。
自分は痛くなくとも、向こうが痛ければ、それは悪いことだってわかる。そう
やって、一つずつ知って、悟って、やがては小さな生き物も大事にするように
なる。それが良いことだって自然と理解するもんだって思っていたし、オレ達
親がそう教えて行けばいい話だって簡単に考えていたんだ」
守は窪んだ目でただ床を見ていた。麻木の知らない苦悩が滲んでいた。
「何度も諭したよ。何度も、何度も。だけど、奴は理解しようとしなかった。
一緒にやっていた子もいたさ。だけど、皆、すぐに悪いことだって理解して、
気味が悪いと思うようになって、順番に一人ずつ抜けて行った。ちゃんと成長
したんだ。なのにとうとう、最後の一人になっても、あいつはやめなかった。
いや。エスカレートして、更に悪くなって行った。虫が、子供が大好きなセミ
やトンボや蝶になった。それでも虫の頃は気は楽だった。温かい、とくとくと
脈を打つ身体じゃないからな。だが、小鳥になって、終いには犬猫になった。
もう耐えられなかった。あれは生まれつきの悪魔なんだ。どうやっても、オレ
達にはあいつを止められなかった。あいつは、廉は生き物が溺れて死んで行く
のを見るのが、三度の飯よりも好きな悪魔なんだよ」
 麻木は立ち尽くす。五人の被害者の内、三人は溺死だった。幼い頃から隠し
持っていた嗜好は成長と共に失われて消えることなく、廉の中に残っていた。
いや、むしろ、着実に育まれていたのだ。弁護士の仮面を被り、あの男は楓を
溺死させる気なのではないか。セミやトンボ、蝶や小鳥や犬猫の如くバケツの
水底に押し付けて。だが、麻木は諦めない。真夜気もミーヤも楓が惨殺される
ことはないと言い切った。二人が楓をどう思っているのか、心底はわからない
が、二人は性根の悪いタイプではない。そんな二人が揃って楓の溺死を望んで
いるとも、そんな結末を知っていて見殺しにするとも思えない。何よりも楓は
生きている、そう信じていないことには麻木の方が先に死に走りたくなった。
あの濁流の中から生還した強運の持ち主が大人になって、廉なんぞに殺される
はずがない。そう信じていなければ、息を繋ぐこともままならなかった。
「楓は生きている。絶対に生きている。廉に連れ去られたんだとしても、間に
合うはずだ。どこかに心当たりはないか?」
「心当たりって。そんな警察みたいなこと、急に言われても」
「例えば。そうだ、兄さん。あいつ、弁護士なんだ。別荘とか、そういう物を
一つくらいは持っているんじゃないのか?」
二人は同時に首を振る。
「持っているのかも知れないけど、そんな報告されるほど、円満な間じゃない
から」
 節子は万策尽きたという態だが、麻木には未だ希望がある。楓の肉親、血の
繋がった一族を、人と異なる能力を持った二人を知っている。二人は明らかに
楓の居場所を知っている。知っているからこそ、無事と言い切れるに違いない
のだ。ならば、彼らからその場所を聞き出し、一刻も早く楓を取り返すことで
安心したい。彼らの言う通りにこうして、ただ待っているばかりではその間に
楓の運命がどう転ぶか、わからない。ましてや、連れ去った廉に恐ろしい性癖
があると知った以上、悠長に構えて待つなど出来なくなっていた。
「絶対に早まった真似をするなよ。そんなことをして、楓を傷付けないでくれ
よ。あいつが立ち直れなくなるから。いいな」
二人が頷いて、よろよろとだが、それでも立ち上がるのを見届け、麻木は工場
を飛び出した。ガレージには島崎が残っていた。彼はミーヤに言われ、どこか
へ出掛けたはずだ。それを戻って来て、ここへ送ってくれたのだ。何か、意味
があるはずだと考えた。

 

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