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 楓はマンション前で麻木一人を下ろした。結局、兄夫婦の傍にいろとは麻木
がいては都合が悪いことを、何かとんでもないことをする気そのものなのでは
ないか。そう勘繰りはしたが、口にはしなかった。正直、肉体的には疲労困憊
に近く、頭はそれ以上の飽和状態だ。到底、これ以上は何も受け入れられない
だろう。帰りの車中で楓は兄夫婦に電話を掛けていた。楓の無事を喜ぶ二人は
息子のことに触れなかったようだし、楓もわざわざ触れることはしなかった。
このまま、廉は失踪を遂げたことにでもされるのだろうか? 確かに兄夫婦を
殺人犯の肉親にするのは忍びない。そうなることに比べれば、ましに違いない
が、つい先日まで刑事として勤めていた麻木にはやはり、割り切れないものが
残っていた。将来、このもやもやとした不満めいたものを解消することが叶う
のか、否か、予想すら出来ない。とにかく疲れていて、今は休みたい。一休み
して、それから兄夫婦の様子を見に行こう、そう決め、玄関ホールに足を踏み
入れた時だった。麻木は予期しない光景に出くわした。見慣れた顔が十数個も
くたびれた表情を浮かべて、ホールに立っていたのだ。
 彼らは一様にぐったりとしていた。麻木は彼らのそんな疲れた姿を見たこと
がなかった。彼らは警備員としての職能的には素人に近いせいか、大抵、気楽
そうに見えていたからだ。
「おかえりなさいませ」
年長の小岩井は沈んだ表情のまま、それでも麻木に頭を下げた。しかし、それ
が精一杯という態は否めなかった。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「いえ」
小岩井は辛そうに目を逸らす。
「とぼけるなよ。きっぱりはっきり教えてあげればいいじゃないか。どうせ、
ふうちゃんにはすぐに知れることだろ」
麻木は意外な顔に驚いた。警備員達の中にピンクの産着を着た赤ん坊を抱えた
麦田が立っていたからだ。同じ村出身の彼らの中に溶け込んで、麻木には麦田
の存在が全く目に付いていなかった。
___何で、こいつが、ここに?
麻木の疑問に小岩井が気付いたようだった。
「あの、わたしの次男です。文夫です。それと孫の彩花です」
小岩井は遠慮がちにそう言った。
___息子と孫だって? 
言われてみれば、小岩井の孫と麦田の初めての娘は同じ頃に生まれ、同じ名前
だった。彼らが隠し立てしていたのではなく、麻木が気に留めていなかったに
過ぎないこと。次男の麦田一人に四人の子がいるのなら、小岩井に五人の孫が
いるのも当然だ。
___だったら、舅の小岩井が息子に寄り過ぎて、それで麦田と女房がもめて
いたってことか。
しかし、楓はそれに気付いていただろうか。楓は麦田とちはるの夫婦ゲンカを
面白がっている様子だったが、小岩井が麦田の父親だとは知らなかったように
思う。麦田は少年期、楓と親しかったわけではない。ならば、麦田はミーヤが
内密に放った、楓のための番人だったのだろうか。近年、楓に近付いて来たの
はただ、楓の様子を窺うためだったのか。ミーヤに楓の身辺に起こる出来事を
逐一、知らせるために。
___それが曽祖父とやらに知らされていたのか。
「ねぇ、おじさん。オレはね、ふうちゃんのこと、嫌いじゃないよ。あいつ、
良い奴だもの、むしろ、好きなくらいだ。だけど、オレ達、ミーヤ様には大恩
がある。オレ達はド田舎の、名前を言っても誰も知らないような村の出身だ。
おじさんがどの程度、知っているのかは知らないけど、あの怖い山と気味悪い
水城家だけが頼りの貧しい村で、水城って家の世話をする以外には何の仕事も
なかった。貧しかったんだ。誰も夢なんか見ないくらい」
麦田は過去を嘆くように息を吐いた。
「でも、ミーヤ様が現れて、オレ達の哀れな世界は一変した。何もかもミーヤ
様がくれたんだ。道路も電気も水道も学校も外へ出る手段も、夢までも。オレ
達の村からレストラン経営者や医者が、いや、普通に街で働く若者が何十人も
出るなんて、それ自体が夢のようなことなんだよ。ミーヤ様は今までの、オレ
達を利用するだけの連中とは違う。だから、オレ達は水城と言う家じゃなく、
ミーヤ様の役に立ちたい。ミーヤ様にも良い思いをさせてあげたい。それなの
に」
 麦田は押し黙った。さすがにそれ以上を口に出すことははばかられたように
見える。当然だ。ここに姿は無くとも、風変わりな能力を持つ一族には筒抜け
になっているかも知れない。そう思えば、口を閉ざすしかないだろう。麻木に
はしかし、彼らが嫌いに近い感情を持っているにも関わらず、尚、その相手、
水城家に従わなければならない理由がわからなかった。恐らく、何らかの理由
があって、彼らは村ごと、ずっと水城家に仕え、結果的には共に生きて来たの
だ。だが、彼らはその恩ある水城家ではなく、ミーヤ個人が好ましいのだ。
「それじゃ、説明になっていないんじゃないのか」

 

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