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 土田は一層、苦しげに白目を剥き、凄まじい形相となって口をパクつかせる
が、どう頼まれても、すがられても麻木になす術はない。恐らくは掛けた本人
でなければどうにもならない事態だろう。ミーヤを起こすべく麻木はソファー
の方へ行こうとするが、麻木の足も自分が思うようには動かない。どうしても
一歩を踏み出せないのだ。
___まさか。オレも掛けられているのか。いつ? 憶えはないぞ。
しかし、それを考えてみても意義はない。見つめるだけで掛けることが出来る
のなら、ミーヤにはいくらでも、どんな命令でも下すチャンスがあった。パピ
はミーヤの腰にもたれ掛かった恰好で麻木を見上げている。まるで傍観者だ。
土田はもうタイムリミッド、体内の酸素が底を突く頃だ。麻木が諦めかけた時
だった。土田は完全に静止して、その恰好のまま、バタリと床へ倒れ込んだ。
終わったのか。麻木がそう思った時、土田はおかしな音を立てた。何の音かと
訝り、麻木はすぐに気付いた。一息に肺にまで空気が流れ込む音だったのだ。
ギリギリのところで土田は死なずに済んだらしかった。
「ミーヤに殺せるはずがないじゃん?」
 真夜気だ。彼はミーヤにもう一枚、毛布を掛けてやるためにやって来たよう
だ。手にした毛布をミーヤに掛けて、真夜気は習慣のように彼の髪を撫でる。
髪と髪の持ち主が生きていることを確認するように、丁寧に。
「場所を変えよう。おじさんも手紙を読みたいんだろ。だが、その前に。この
うすら馬鹿を放り出そうぜ。ミーヤの邪魔になるからな。こんな薄汚いもんが
近くに転がっていたら、また悪い夢を見る」
真夜気の言うことは正しい。麻木は頷いた。確かに早くカホからの手紙を読み
たかった。
・・・
 麻木 譲様。私は今、初めて、あなたに宛てて、手紙を書いています。
あなたと出会って結婚までしたのに、今になって初めて、そして最後の手紙を
書いていることが不思議でなりません。
そして、こうして書き始めていてさえ、私はあなたに何もかも打ち明けるべき
か否か、未だ迷っているのです。
 あなたと結婚して尚、私は迷い続けていました。今も決心には至っていない
のかも知れません。けれど、私には思慮を重ねる時間がありません。今、ここ
で、せめて、数行なりと書き残しておかなければ、あなたに伝える術が永久に
失われてしまう。その恐怖から私は勇気を奮い起こし、こうしてあなたに手紙
を書いているのです。
 明日、楓は一歳の誕生日を迎えます。もしも。明日の夜、あなたが嬉しげに
楓を抱き、あやしてくれる姿を見ることが出来たら、私はきっと泣いてしまう
でしょう。それほどに私は今、幸せで、この幸せを与えてくれたあなたに感謝
しているのです。ただ、その一方でどうにもならない宿命に不安を感じ、こう
してあなたに手紙を残すことを選びました。
 譲さん。私はきっと明日の夜、あなたと一緒に楓の誕生日を祝ってやれない
でしょう。ずっと以前から感じていたことですが、その時が明日にまで迫って
いると、今ははっきりと実感しています。私は明日、まだ暗い朝に死ぬのだと
わかっているのです。
 譲さん、死を間近に感じて今、私があなたに告げねばならないこと、それは
私の生まれた家のことです。あなたには水城と言う名の家のことを知っていて
欲しいのです。私の母親は水城家を出、好きな男性と結婚し、私と妹の二人を
産みました。つまり、私は傍流であり、本来、あの家とは縁が切れているはず
です。しかし、楓の父親は水城 祐一と言う、本家の人間でした。彼は即ち、
私の従兄でした。
 振り返れば、母親と妹とひっそりと暮らす小さな家に時折、様子を見に来て
くれる伯母、楓には祖母になりますが、彼女がたくさんの手土産をくれること
より、何より、祐一を連れて来てくれることが嬉しい娘でした。彼だけが母と
娘二人だけの静かな家に明るい光をもたらしてくれたのです。幼い私は本当に
明るく朗らかで、一片の邪心もない楽天家の祐一が好きでした。だからこそ、
嘘まで吐いて身ごもった。子供が出来ない体質だと言い張り、身ごもった暁に
は他に好きな人が出来たから消えて欲しいと言いました。

 

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