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 もしも、万が一。将来、祖父が後継に楓を選んだとしても、断れるものなら
是非、父親であるあなたが断って下さい。どうか、楓をあなたと同じまともな
強い人間に育てて下さい。私はあなたに期待している。あなたを頼りにお願い
しているのです。心から。だけど。もしも、楓が七割の方の人間だったなら。
その時はいっそ、あの魔窟に送り返してくれた方があなたのためになるのでは
ないか。あんな力を持った子供が傍にいたら、あなたはきっと安らげやしない
と思うから。
 譲さん。あなたは時々、本当に寂しそうな顔をする。それはきっと私のせい
ですね。私はあなたに肝腎なことを言っていない。何一つ、伝えてはいない。
あなたと出会えて、本当に良かった。一度でも、そう口に出して言うべきだ、
そうわかっているのにどうしても言えなかった。こんなに深く安らかな幸せを
生まれて初めて味わいながら、素直に嬉しいと言葉に出来なかった。捻くれた
性格のせいかも知れないし、これが母が求めて、でも、手に出来ずに終わった
幸せだったからなのかも知れません。
 譲さん、愛している。どうぞ、いつまでも健やかでいて下さいね。万が一、
あなたに不都合があった時には下記の住所を訪ねて下さい。彼女は私の遠縁で
もあるし、唯一の友人でもあります。彼女に私の全財産を預けてあります。
・・・
 麻木は古びた便箋に書かれた名前を見つめる。大久保。ミーヤらが親戚だと
言っていた、その姓が記されていた。
・・・
 もし、楓に通常と違うところが出て来たら、彼女に相談して下さい。彼女に
も異能力はありませんが、話は通じると思います。楓が、こんなに可愛らしい
子供が化け物だとは思いたくないけれど、違うと断言することも叶わないの。
先日、水城家が聖地としている山に楓を連れて行きました。その時、私は無事
に帰って来ることが出来ました。それは通常、考えられないことです。あの山
は人を選ぶ。能力のない者を立ち入らせるなど、絶対に許さない魔物なのに、
この私が普通に出入り出来たのです。どう考えても私の唯一の連れ、楓に資格
があったとしか考えられない。そうだとしたら気休めでしかないけれど、楓に
私のペンダントを持たせて下さい。あれは魔物を封じるものだと祖母がくれた
物です。おまじないでしょうが、何もないよりはずっとましでしょうから。
 譲さん。私の寿命は残り何十分でしょうか。今になって、私は楓があなたを
選んでくれたように思うのです。初めて、あなたを見た時、私はまるで何かに
突き動かされるようでした。それが恋なのかと考えたけれど、あなたと一緒に
暮らすようになって初めて、私はあなたと言う人を好きだと思うようになった
ような気もするの。誤解なさらないでね。あなたには最初の夜から良いものを
感じていたけれど、一緒に暮らすようになって毎日、少しずつ更に更に好きに
なって行って、今では最愛の人と言い切れる。最初の衝動に操られてしまった
ようだけれど、おかげで幸せになれたので、不服は言いません。最後の時間は
あなたのために使いたい。
 再婚なさってね。楓を可愛がってくれる方なら、すぐにでも再婚して欲しい
くらいです。譲さんが寂しい思いをするのは悲しいことだから。私はあなたを
不幸にするためにあなたの前に現れたつもりはありません。結果的には厄介を
お願いしたけれど。もう一目、会いたい。けれども、もう時間がありません。
眠くて、読み返す気にさえなれないくらい。もっと、もっと幸せになってね、
あなた。十一月 一日、夜。麻木 カホ
・・・
 長い手紙を読み終え、麻木は三十五年の年月を越えて、カホを身近に感じて
いた。カホは一所懸命だった。最期と知っていて、残り僅かな時間を費やし、
麻木のためにだけ書いてくれた手紙。彼女は我が子はもちろん、麻木の将来を
も案じていてくれた。麻木の幸せを願いながら息絶えていた妻。死に絶えた後
とは言え、安らかだった柔らかな顔は言いたいことは皆、書いたという満足感
からのものだったのだろう。それなのに麻木は三十五年も経って、初めて彼女
の真意を知ったのだ。

 

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