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「大体、馬鹿っていうのは悪いことをする奴のことでしょう。達ちゃんは該当
しないよ」
ユーマの言葉を受け、たちまち達には生きる勇気が湧いて来たようだ。パッと
顔を輝かせ、達は早口に言った。
「あいつみたいな奴のことだよね。そうだよね。あいつは悪いことしていた。
坊ちゃんも悪いことしている。本当はいっぱいやっているんだ」
達は子供がそうするようにまくし立て、何かを催促するように目で訴える。
「だから」
「ダメだよ。ミーヤに頼まれたから、火葬には出来ないんだ。九鬼とこの人は
必要なんだって。気が知れないよね」
「ふぅん、ミーヤさんが言うんなら僕、我慢する。ミーヤさんのお願い、大切
達は残念そうに、それでも承知した。その様子を目を細めて見据えるユーマは
どこか意地の悪そうな光をその目に浮かべていた。
「だから、これ以上は悪いことをしないように、おまじないしておこうよ」
「おまじない?」
「そう」
 頷くと、やおらユーマは小鷺の目前にその美しい右手を突き出した。天狗帖
だ。麻木が思わず、嘆息するほど、滑らかで白い手。通常の生活を送っている
とは思えない、長期入院でもしていたのかと思うような白さと肌理の細かさ。
あまりに通常のレベルとかけ離れた美しい手は魔力さえ、放ちそうに見える。
麻木は嫌な胸騒ぎを覚えていた。
「何の真似だ?」
「今日がミーヤの昔の借りがチャラになる日だと思うよ、小鷺さん」
言うなり、ユーマの白い手は突然、燃え上がった。息を呑んだまま、身動ぎも
叶わないらしい小鷺の鼻先でユーマの右手は火炎に包まれる。凄まじいばかり
の炎に包まれた自分の右手をユーマは笑い顔で眺めていた。その信じられない
光景に麻木も瞬きを忘れ、束の間、ただ見入った。
「凄い、凄い」
達の歓声にふと我に返る。判断能力に欠ける達だけが単純に手品の一つとして
喜んでいる。だが、見せ物でこんな馬鹿をする人間はいないはずだ。
「やめろ。ユーマ、やめるんだ」
麻木が慌ててユーマの右肘を掴むと、ユーマは平然と振り返った。
「こんなことでそんなに慌てていたんじゃ、とても楓さんの親族は務まらない
と思いますけれど」
「何を言っているんだ? 取り返しのつかないことになったら」
「あなた、慌て過ぎですよ。ちゃんと見て」
麻木の心配を笑うようにユーマは明るく言った。
「ほら」
ユーマは麻木の前に右手を差し出した。微かに石鹸の匂いすらする、清らかな
手。そこには傷一つ、いや、しみ一つもなかった。
「なぜだ? あんな燃え盛っていたのに」
予想しない結末に呆気に取られる麻木にユーマは平然と言う。
「あれは魂の炎、火傷なんてしません。普通の炎も使えますけど、まさか自分
には使わないでしょ。熱いの、嫌だし」
「普通の炎? それじゃ、おまえが大沢に。研究所にも放火したのか?」
「どこにそんな証拠があるのかな?」
ユーマはすました顔で、いきり立つ小鷺を横目で見やった。その凄みは裏打ち
のないものではない。彼には実行する能力がある。ユーマは小鷺を見下ろして
いるのだ。
「小鷺さんが連続殺人犯の一人だって証拠はあっても、僕が放火魔だって証拠
はないよ」
小鷺は鼻で笑った。
「こっちだって、ないさ。僕は一市民、ただの教員だ」
「ない? ないんだ?」
ユーマは笑った顔で聞き返す。彼が小鷺に良い感情を持っていないことは明白
だった。ユーマにとって、小鷺は単なる人殺しであり、その上、自分の犯行を
金で隠蔽しようとする、あつかましい男に過ぎないのだろう。
「ないさ、どこにも、な」
「それはこの世にないんじゃなくて、あんたの手元にないってことでしょ?」
「おまえが燃やしたから、ないんだ。おまえが綺麗さっぱり燃やしたからな」
ユーマは微笑んだ。
「僕は燃やしていない」
「燃やしていない?」
「だって、あそこにそんな物はなかった。ない物は燃やしようがない」
「なかった? なかったって、どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。発火する前に紛失していたんじゃない? 記念の写真も、
ネガも、誰でしたっけ?」
ユーマは麻木を見やり、何も聞かないまま、頷いた。
「ああ。そうだ、豪田の眼球も。あそこには何もなかった。眼球は元々、一個
しかなかったんだな。もう一個は大沢が知人にやったんだ。まぁ、今更、どう
でもいいか。でも。消えて欲しいんだろうな、犯人からしてみると」

 

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