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森央はミーヤの言葉を遮った。
「わたしはおまえみたいにひ弱じゃない。いらない心配していないで、さっさ
と着替えろ。風邪から肺炎でも起こしたら、三ヶ月どころか、一週間と保たん
ぞ」
ミーヤは曾祖父のきつい口調を気にしたふうもなく、頷いた。
「はい。では、車の方に黒永を向かわせます。止血だけはしておかないと」
森央は鷹揚に頷いた。彼は携帯電話を取り出すミーヤの左頬を見たようだが、
口元に苦いものを浮かべただけで何も口にしなかった。麻木は穏やかなミーヤ
と苦虫を噛み潰したような森央を見比べた。ミーヤはこの曾祖父を嫌悪しては
いない。何でも見通せる彼らにとっては顔に浮かんだ表情も、口を突いて出る
言葉も人を判断する決め手にはならないのだろう。森央はこう見えて、優しい
ところも隠し持っていて、ミーヤはそれを承知しているに違いなかった。
「おまえ、ここの後片付けまで深山にやらせたら、承知せんぞ」
森央は楓を睨んだが、楓はすました顔で立っている。
「わかっていますよ、そんなこと」
何か言いたげに楓は森央を眺め返す。その意味がわかる森央は嫌な顔をした。
「あんた。そう、あんただ、麻木さん。あんたの育て方が悪かったんだ。責任
を取って、あんたもここの掃除をして行ってくれ。猫よりは使えるだろう」
楓は笑った。
「適当なことを。僕の性格がどうであれ、お父さんのせいじゃないでしょ? 
僕は祖母に似ただけ。そんなこと、誰よりも知っているくせに。濡れ衣、押し
付けられちゃ、お父さんがかわいそうだ」
「柊子より、おまえの方が質が悪い。あいつも大概、扱い難かったがな」
森央はミーヤをチラと見た。
「早く行け。おまえが倒れると高くつく。あの小娘共の見舞いになんぞ、行く
必要はないぞ。あの二人は煮ても、焼いても死にはせん。そんなヤワじゃない
からな」
「はい。真夜気がいますから、大丈夫でしょう」
「あんな奴でも妹らの面倒くらいは看るだろう。おまえは余計なことをせんで
いい。早く行け」
「はい」
ミーヤは麻木に目礼し、自室へ戻って行く。それに付いて、ユーマも下がる。
それを見届けて、ようやく森央は帰宅する気になったようだ。
「念を入れておくが」
 森央は楓を見やった。彼には楓のやることが一々、心配なようだった。麻木
にも何かやらかす前に釘を刺しておきたい彼の心理が解らなくもない。そんな
ことが出来るなら、麻木とて倣いたかった。
「幽間の連れの大男はどうするんだ?」
「あのままで差し支えないのでは?」
「あれは猫じゃない。深山の猫のようなわけにはいかん」
「そうですか」
何の話をしているのか。麻木にはすぐには解せなかった。深山、幽間。大男。
猫。
「あれは影響を受け過ぎている。幽間の力に感化されて、馬鹿じゃなくなって
来た」
達のことだ。
「いけないことですか?」
「猫なら他の猫より賢くてもいいが、元が知恵遅れのあれが馬鹿でなくなるの
はめでたいばかりの話ではないだろう。決して人並みにはならん以上は」
「特に困らないと思いますけど」
楓には達とパピが同じようなものに見えているのだろうか。森央は楓の思考に
付いて行けないと言うようにため息を吐いた。
「わかっていて言っているのか。幽間も、先々を心配し始めている。あの大男
は急速に生まれ持った以上の知恵を身に付けた。しかも、攻撃的な幽間の力に
感化されて、性格が凶暴になった。その内、しでかすことは目に見えている。
実兄があれなんだぞ。元々、まともとは言えない。今、引き離せば、元通り、
馬鹿でも気の良い大男として、悪くない人生を送ることも出来るだろう」
「それ、彼にとって望ましい人生なのかな」
 森央は楓の平然として、何かを気にしたふうもない表情を見据え、しばらく
黙っていた。それから意を決したように口を開いた。
「幽間が困る前におまえがどうにかしろ。いいな」
「頼まれるまでもない。ユーマには出来ませんからね」
楓はそう答えた。一生、曾祖父の言いなりにはならないし、そんなことをする
必要はないと考えているらしい楓の余裕が森央の気に触るのだろう。彼は何か
言いたそうに麻木を見やったが、そのまま杖を使って、それでも疲れたミーヤ
より、はるかに易々とエレベーターへと歩き去る。それを見送りながら麻木は
何とはなく彼とは近日、再会するだろうと思った。
「じゃ、片付けようか」
「それは構わんが。真夜気の妹さん達は様態が変わったのか? 好転したって
ことなんだな」
「うん。もう何か、食べているかも。元が丈夫だからね、あの二人」
「もしや、おまえが関わっているのか?」
「僕は医者じゃないよ、お父さん。知っているじゃない?」
楓は麻木の見慣れた屈託のない笑顔でそう答えただけだった。

 

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