麻木は真夜気の小ぶりだが、鋭く光る目を見つめた。真実が詰め込まれた箱 の中を覗いているような気にさせられる不思議な目だ。そして、実際に真夜気 は事実を知っている。 「だったら、フライパンは?」 麻木は震え出しそうな声で尋ねる。フライパンは何よりも奇怪な題材であり、 いつも楓を怯えさせるものだったからだ。真夜気は怒りのこもった目で麻木を 見つめ返した。 「ミーヤの義母が。いや、糞女がミーヤの頭を殴った時の、その光景が見えた んだろう。子供の楓さんが時々、泣いて怖がったのはきっと、ミーヤの体験が 見えたからだ。疑似体験で泣いたり、怖がったりしていたんだよ」 麻木は絶句し、立ち尽くす。幼いミーヤが痛ましく、楓の力が恐ろしかった。 その楓が今、何をしようとしているのか、それを知るのは怖いと思った。廉を 三十年先に送り付けた。ケロリとした調子でそう言った楓。あれも嘘ではない のだ。そして、もしかしたら、楓はそうするためにわざと廉に自分を殺し得る チャンスを与えたのではないか。自分が危険にさらされるリスクを冒しても、 楓には危機を招く必要があったのではないか。 思えば、楓は麻木に言われた通りにして来た。正当防衛はしてもいい。自己 防衛のための攻撃は暴力ではない。麻木は楓にそう教えた。麻木は自分の記憶 に問い掛ける。自分はもう一つ、言い添えたのではないか。忘れてはいない。 間違いなく言ったことがある。 『暴力はいけない。弱い者苛めは最もいけない。だが、正当防衛はしなくては いけないし、家族を守るためには人くらい、殺す覚悟が必要な時もある。家族 を守るっていうのはな、人間にとって、最も大切なことだ。自分を守るよりも 大切な時があるくらいに、な』 あの言葉を楓はどう解釈したのだろう。楓は七つか、八つになっていた。あれ をまともに実践したなら、楓は自分を攻撃した廉よりも、ミーヤを攻撃した者 に厳しい報復をすまいか。 「その母親はどこに?」 「死んだ。ミーヤが十五の年に」 では、楓はそのろくでなしに攻撃することはないだろう。一安心しながら麻木 はミーヤの様子も気になった。 「ミーヤに会えるか?」 「聞いてみてあげるよ」 真夜気はぐったりした様子で、それでもそう答えてくれた。 ミーヤは鉄柵の向こう側、普段、真夜気が自由に出入りしている方の居間で 休んでいた。ソファーに横たわった姿は痛々しかった。傍らに控えている男が 黒永なのだろう。彼は麻木に会釈して、席を外してくれた。カーテンでありと あらゆる窓を塞いだ部屋は暗く、ポツン、ポツンと間接照明の明かりが浮いて 見える。その中にミーヤの身体は隠れるように置かれてあった。点滴を続けて いたミーヤは麻木が近付くと、頭を揺らした。麻木は慌てて、制した。 「動いちゃ、いかん。無理しなくていい。そのままでいてくれ」 「すみません」 弱い声だ。起こしかけた身体を沈めながら、ミーヤは近くのテーブルライトを 灯してくれた。包帯を巻いた頭が再びクッションの山に埋もれる。彼の左頬に も傷が見えた。ビニール袋に入れた氷で黒永が冷やしてやっていたのだろう。 ミーヤには自力で頬に氷を当て続ける力はなかったようだ。重たげにビニール 袋をテーブルの端に置いた。 「大丈夫なのか? ベッドで横になった方が楽なんじゃないのか?」 「ベッドは嫌いなんです。魘されることが多くて。それに、曾祖父が悪いから じゃありませんよ」 ミーヤは弱い声で、麻木が言い辛く、ためらっていたことに自ら触れた。 「酷い仕打ちだ。だが、どうしてなんだ?」 ミーヤは目を細めた。 「曾祖父は失敗したことがないから、僕を見るのが嫌なんです」 「どういうことかね?」 「僕を引き取らなかったことを本当は失敗だったと思っているから、気まずい みたい」 ミーヤはゆっくりとした口調で話している。彼は未だ、とても綺麗だった。 枯れて行く花がそれでも目が覚めるような鮮やかな美しい色を花びらに残して いるように。ミーヤは命が絶えて行く課程を感じさせる。心が痛くなるまでの 穏やかさがいっそ、物悲しかった。器量が良く、人格円満で非の打ち所のない ミーヤがなぜ、暗がりで痛みに耐える人生を送ることになったのだろう。 |