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 人違い。彩子はそこにこそ、意味を持たせるように麻木を見やった。
「人違い?」
「彼女が間違われたのではなく、一緒にいた彼が間違われたんです。あまりに
も良く似ているから。ユーマと楓さんを見間違えて、環さんを殺したんです、
あなたの甥は」
彩子の目に浮かんだ鋭いもの。麻木は彼女の言うことは真実だと悟った。それ
にそれでこそ、辻褄が合う。廉が楓の恋人が失踪したと断言出来たのは自分が
その恋人と思しき女を殺していたからなのだ。麻木はその失踪した恋人を間北
恵留だと思い込んでいたが、実際は別人、大久保環だった。一緒に歩いていた
男も楓でなく、楓の異母弟、ユーマだったのだ。連れ立って歩く若く、幸せな
恋人達。人違いでその幸せがぶち壊されるとは何という不合理だろう。
「辛いことです。でも、誤解なさらないで。ユーマは楓さんに恨み辛みなんて
持っていません。そんな逆恨みをするほど哀れではないと当人が言っています
し。当然、あなたや楓さんが苦にされる筋合いのことではないのです。それに
ずっと影も形も何もなかった彼女をあんな水底から引き上げてあげられたのは
楓さんのおかげですもの。感謝しているくらいですわ」
「楓のおかげって?」
彩子はカーディガンのポケットから紙切れを引き出して、麻木へ差し出した。
受け取ってみると、それは雑誌から切り取ったらしい一ページだった。
「人造湖?」
造ったきり、まるきり何の役にも立っていない代物らしく、人が近付いた痕跡
すら残っていない、そんな有様を揶揄した写真だ。
「これは?」
「楓さんの物です。ミーヤが楓さんのスクラップから抜き取りました。無礼と
は承知していますが、どうしてもミーヤにはこの場所を特定出来るだけの力は
なくて、それで忍び込んでしまったようです」
楓がこぼしていた疑問。楓のスクラップブックから紙切れを拝借し、再び返し
に来たのはミーヤだったのだ。だが、こんな税金の無駄使いを糾弾する雑誌の
記事を歌手の楓が切り取ってまで、保管しておく必要がどこにあったのだろう
___確かに風変わりで、人の関心を引かないものにばかり惹かれていたよう
だが。古代の気象とか、色とか、そんなものばっかり。
「どうして楓がこんな紙切れを? ここに環さんが沈められていたってことは
もしや、楓は知っていたのか? 偶然ではなく?」
「彼には環さんの姿が見えていたみたいですね。聞いていないのですか?」
 麻木は小さく頭を振った。単に認めたくなかったに過ぎないこと。楓が見て
いた幻の女性。ショートカットで目が印象的な人。間北恵留の特徴と言えなく
もないが、実際、それは楓の異母弟の恋人、環だった。楓はミーヤやユーマの
存在すら知らないはずの時期に既に彼女を、それも故人を感知していたのだ。
人を三十年先に送るという突飛この上ない能力なら、荒唐無稽な作り話として
突っぱねることも出来たかも知れない。だが、この程度のことはもはや、日常
として理解出来ないことにはこれから先、到底、楓とは付き合っていけない。
黒は黒としか表現してはならないのだ。
 麻木の沈黙を見守っていた彩子は静かに切り出して来た。
「あなたも、さぞや混乱なさっているのでしょうね」
彼女の声には同情のような優しさが含まれていると思えた。
「わたしだって、戸惑いは同じですわ。だけれど、ミーヤとユーマはわたしの
弟ですし、楓さんだって、弟達とあんなに似ていてはね。他人ではないと納得
も出来ますよね。大体、あれでは否定のしようがないわ」
彩子は仕方なさそうに笑う。彼女の戸惑いは麻木の比ではないだろう。彼女は
彼らと血が繋がっている。それなのに彼女には人と異なる力はなく、その上で
理解して、寄り添ってやらなければならないのだ。化け物呼ばわりするわけに
はいかない。他人事として切り捨てることも叶わない。それは端で見るほど、
容易いことではないはずだ。麻木はカホの遺書を思い出していた。彼女は傍流
とは言え、水城家の一員でありながら、きっぱりと化け物と切り捨てていた。
きっとそう考えることが唯一、心を安らげる自己防衛の方策だったのだろう。
しかし、今、実際に触れ合える位置にいる姉であり、妹でもある彩子にそれは
出来ない。七割と三割。異能力を持つ者の方が多いのでは、その中にいて力を
持たない者の寂しさや情けなさは計り知れなかった。自分は普通で、彼らこそ
化け物だとでも信じなければ、そう平静ではいられないだろう。彩子のように
何が何でも、ただの弟として当たり前に接してやる方がはるかに困難で、大変
な心労を伴う生き方なのだ。彩子は麻木の考え込んでいる顔をじっと見つめて
いたようだ。ふと、麻木がその大きな美しい目に気付くと、彩子は意を決した
ように唇を開いた。

 

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