「父にだけ、天国で安穏と過ごしてなんか欲しくない。せめて、それくらいの 苦痛は味わうべきなんです」 情の深そうな彩子が口にした思いがけない怒りに、麻木はミーヤの過去の辛酸 を思わざるを得なかった。ミーヤは辛い記憶を抱えているのだろう。しかし、 投身した友人の飛び散った肉片を掻き集めたという気丈さを思うと、彼が自ら この姉に内心の苦しみを打ち明けるとは考え難かった。 教師である小鷺が以前、言っていたこと。傷付けられた子供は大抵、家族に だけは知られまいと何よりもそれを望み、口を閉ざしがちになるものらしい。 ならば、なぜ、真夜気や島崎のような特殊な力を持たない彩子が弟を苛む過去 の出来事を知っているのだろう? 麻木自身、打ち明けられない限りは、楓の 悩みなど知る由も、いや、あるのか、否か、それすら見当も付かなかった。 「相談されたことがあるのかね、子供の頃のことを」 彩子は頭を振った。 「いいえ」 苦しげな彼女の表情が意味するところが麻木にも理解出来る気がした。相談 して欲しくとも相談されない。それが苦痛になると麻木が誰より知っている。 例え、気遣いから相談されないのだとしても、自分の無力を呪うしかないから だ。 「知りたくて、知ったことではありません。ある日、掛かっていた医者に一方 的に伝えられたんです。彼は本気であの子の心の傷を癒したい、そう出来ると 信じていたようですけれど、実際は知られたくないことを何も見えないわたし にまで知られて、余計に傷付けた。負わなくてよい傷まで負わされた、医者に まで傷付けられたんです」 彩子は重く息を吐く。 「医者って、酷いことをしますよね。薬を飲ませて、意志を奪って、何もかも 喋らせて。そんなの、単なる暴力ですわ。一緒に力を合わせて治療しましょう って、わたしにまでミーヤの過去を教えた。それって何より酷い、惨いやり方 だったんじゃないのかしら。だって、真夜気達は決して何でも見たり、聞いた り出来るわけじゃない。見たいと思ったら見える。そんな程度で、普段は何も 見えない、それに見ることが出来る人間には見せないようにすることも出来る って。だから一緒にいても、真夜気はミーヤの心の底なんて見えなかったし、 過去のことなんて知るはずもなかった。それなのに。ガードとやらが出来ない わたしの心の中が見えてしまった。それで真夜気にまで全てが伝わって、知る ことになったんです。あんなこと、肉親にだけは知られたくないって、ミーヤ はそれだけを願っていたのに」 「養母のことか? 質の悪い女だったそうだが」 「ええ。でも、直接的には」 彩子は目を伏せた。 「だけど、彼女がいたから、もっと嫌な目に遭った。遭わされた。かわいそう に。不憫でなりません。何でもしてやりたいけれど、わたしは結局、何もして やれない。だって、楓さんですら、過去には無力だわ。この世にタイムマシン がない以上、過去に戻ってどうにかすることは出来ないんですもの。だから、 せめて、これから先は少しでも安らかに、苦のない時間が過ごせるようにして やりたい。そのためには楓さんの力が頼りなんです」 「心配いらない。楓はああ見えて優しいし、利口だから、きっと上手にやる。 あんたもいらない心配ばかりしていないで、休んだ方がいい。姉さんなんだ。 あんたが元気でいないことには話にならん」 「ありがとうございます」 うっすらと涙の残った顔で、それでも彩子は微笑んで見せた。そこには強い 人間でいようとする覚悟が見える。恐らく彼女にとっても、兄弟や従兄妹達の 力を理解し、更にそれに親しむなど、難業極まりないことだろう。それをただ 肉親としての愛情から成し遂げようと試みる彼女は立派だと思った。そして、 同じことが自分に出来るのか、麻木は心許ないものを感じながらも、せめて、 楓に頼まれた通り、一度、兄夫婦の様子を見に行こうと考えた。 |