今、振り返れば。麻木の人生に心満ちた時など、僅かしか存在しなかった。 だからこそ、どうしても、静かで温かな老後とやらが欲しい。森央のようには 行かないまでも孫を抱き、その可愛らしさに酔い痴れてみたかった。 「お父さんは僕のために無理をしている。これ以上は危険でしかない」 「どんな無理をしていると言うんだ? おまえ達の力は不可思議なものだし、 驚いたし、抵抗もあった。だが、今は平気だ。もう少ししたら、もっと慣れる はずだ。それなのにどうして、いつも一緒に居たがったおまえが、今になって オレを邪魔にする? まさか、森央さんが言っていたことを真に受けているの か?」 「確かに」 楓は父親の興奮には関心がないように、小さく呟いた。 「あの子が残り二ヶ月で死ぬのなら、支障はないだろう。だけど、先の世界へ 治療に出した以上、三年は保つ。そうなったら当然、森央さんの案じる通りに なる。お父さんにそんな気はなくとも、結果はそうなる」 「なぜだ? 言いがかりじゃないか?」 「ミーヤに同情して、ミーヤに惚れなかった人なんていない。唯の一人も」 「馬鹿馬鹿しい。綺麗な子には違いないが、おまえのそれと同じ顔なんだぞ。 息子と同じ顔をした子供に何をしようって言うんだ? おまえに邪な気持ちを 持つのと同じじゃないか?」 そう怒鳴りながら麻木は楓の目に浮かんだ冷たいものに怯んだ。 「僕とミーヤは違うよ。僕には最初からガードする力があった。でも、ミーヤ は惹きつけるだけ、惑わせるだけで、自分に危険がもたらされないようにする 力はない。だから、被害者になったんでしょ」 「ガードする、とは?」 「自己防衛的な誘導、と言うのかな。惹きつけて、使うだけ使って、指一本、 触れさせない、極めて利己的なやり口だね」 すました顔で、楓は言い切った。 麻木は楓の信奉者達を思い浮かべてみた。彼らは皆、楓に惚れていた。熱烈 に追い掛け回していたが、誰一人、楓に危害を加えることはなかったし、楓も とてもまともではない彼らを恐れなかった。歯牙にもかけていなかったのだ。 しかし、そんな楓が恐れた唯一の不審者がいたと言う。そう言えば、楓はその 男が楓の偽物の恋人役二人を手に掛けたのではないかと心配していたが、実際 には土田が頭数を減らすために殺していたのだった。 ___だが、その時は本気で心配して、恐れていたはずだ。だったら、ガード って言っても、万全じゃないわけか。いや、当時は目を閉じていたから、仕方 ないのか。 麻木のその疑問を楓は見て取ったらしい。 「その人にガードが効かなかったのは目を閉じていた僕よりも、彼の方に力が あったからだよ。彼は大久保の本家の人間で、僕とは御同類だった。森央さん が怒って、一騒動あって。結局、決着したんだけれど」 「じゃ、つまり、オレに対しても、自分がちゃんとガードをしていたから無事 だっただけだと言いたいのか? ミーヤと同じにガードとやらが出来なかった ら、オレに何をされたか、わからなかったと言うんだな。だから、そんなこと が出来ないミーヤの身が危ないから、今の内にオレを追い払うって寸法なんだ な」 激昂し、まくし立てる麻木に楓は影響されなかった。 「そうとっても構わない」 しらっとさえして見える楓が麻木には恐ろしかった。彼の冷淡な目を前にして は怒りに任せ、畳み掛けることさえ、難しい。幾度、どれ程強くいきり立って みても、麻木の怒りは行き場を失い、失速し、惨めに床へと転げ落ちるばかり だ。受け止めてくれる相手のいない怒りほど、惨めなものもなかった。 「お父さんの人間性云々とは関係のない話だよ。あれはミーヤの能力の一因だ し、僕にもその力がある以上、理屈はわかっている。決して、お父さんを侮辱 して言っているんじゃない。それだけはわかって欲しい。その上で例え、致し 方ないことであっても、その結果がミーヤに危険をもたらすのなら、僕はその 要因を排除しなくてはならない。予め、出来るだけ早い内に」 楓は真顔で麻木を見据えている。その目に浮かんだ光は強いものだった。 「お父さんにそんなことはしたくない。だからこそ、今、ここで別れるんだ」 「言いたいことはわかった。だが、オレは別れたくない。絶対に離れたくない んだ。おまえと会えない、おまえのいない人生なんか、オレは望んじゃいない よ。そんなこと、おまえが一番、わかっているじゃないか? オレ達はずっと 父一人子一人でやって来た。それを今になって。今になって」 麻木は繰り返し、何度も、それが己の意志の全てだと信じ、叫んだが、楓の 心は動かなかった。彼にはそれが麻木の意志と受け取ることが出来ない理由で もあるかのように頑なに拒むのだ。 「今、別れなくては、お父さんが幸せになれない。このまま、僕らの側にいた ら、お父さんは崩壊するんだよ」 |