大沢はろくでなしだ。恐らくは麻木が承知している以上に。当然、彼に救い はないし、誰かが救ってやる必要もない。だが、彼のリハビリは困難を極める だろう。その上、身動きもままならない傍らに悪意に満ちた笑みで見下ろす弟 が立っているのだとしたら。それを思うとさすがに麻木は気が重く、滅入って しまうのだ。 ___結局、オレは小心で、善人にも悪人にもなりきれないのか。 ・ 水城家には今、大した苦はないらしい。真夜気は妹二人が目を見張る回復を 果たし、更には邪魔な小鷺も自宅に戻った。何より、動向を気にしていた楓が 実は最もミーヤを守ってくれる存在だと実感して、大満足な様子だった。現状 に安心した彩子も自分の家庭に戻り、この頃は電話を掛けて来る程度のようだ し、小岩井達も安堵した体で、自分の仕事をこなしている。麦田も以前同様に 楓をふうちゃんと呼び、愛娘の自慢をしていた。誰も彼も見事に何もなかった かのように日常に戻っていた。漠然とした不安に苛まれ、落ち着かない心地で いるのは麻木一人のようだった。日捲りの日日だけが進んで行き、姉妹の退院 は近いのではないかと思う。 「出来た。これ、包んで。ポットにお茶を入れるから」 入院中の従妹二人のためにミーヤが差し入れの支度をする。その作業を眺めた り、猫にブラシを掛けてやったり、掃除の手伝いをして時間を潰すのが麻木の 日課となっていた。真夜気が病院へ出掛けてしまうと、ミーヤはホッと一つ、 息を吐く。真夜気は妹達の復調にはしゃぎ過ぎ、従兄の身体を思いやることが 出来ていないのではないか。真夜気が出掛けるなり、ミーヤは力尽きたように ダイニングチェアに座り込み、しばらく動かない有様だった。 麻木が声を掛けるべきか迷っている間にいくらかは回復するらしく、やがて 立ち上がって麻木のためにコーヒーを入れてくれるのが常となっていた。 「大丈夫なのか」 今日は思い切って、尋ねてみた。残り三ヶ月だと言い切った彼の暦では残りは 僅か二ヶ月足らずだ。それを改めて、本人から告げられるのが怖くて、麻木は ミーヤの体調には触れられずにいた。 「大丈夫。ごく軽い貧血で、大したことはないんですよ。我が家は大抵、貧血 持ちですし。どこか、欠陥があるからかも知れないって、伯父が研究しているん ですけれど、決定的な成果には至らないみたい」 ミーヤは仕方なさそうに苦笑いして見せたが、薄青い影がその頬を覆っている 事実は否めなかった。 「伯父さんと言うと。確かアメリカにいるって人か? 確か、あんたが帳簿を チェックするために勉強をしたとかって」 「ああ、マオちゃんに聞いたんですか。そう。それですよ。今となってはあの 人、何しにアメリカまで行ったんだか、わかりゃしないけど」 ミーヤは疲れのにじんだ声音でこぼしたようだ。 「真面目に努めてはくれているようなんです。でも、現在の技術では我が家の 人間も全て、異常なしとしか結果が出なくて。だから、彼が見切りを付けて、 他の研究にシフトしたとしても構わないようなものなんですけど。何でそれを 思い付いて選んだのか、そこがさっぱりわからない」 ミーヤには伯父の新たな研究が気に染まないようだ。 「どんな研究を?」 「元々、遺伝の研究をしていましたから、その隣みたいなジャンルを」 ミーヤははっきりとした内容を口にしなかった。どうやら口にするのも嫌な ものらしい。聞いたとしても、どうせ自分には理解出来ない話だろうと麻木は それ以上、追求もしなかった。 「異常なしなら、それで良しとすればいい」 ミーヤは気楽な麻木の意見に賛同はしなかった。麻木に応え、向けられた視線 にはすっと暗いものが浮かび上がったように見えた。 「今の技術では具体的に、数値を持っての違いは示せない。でも、来年は何ら かの技術的進歩があって、一変するかも知れない。それに。現実にどうやら、 もう魂の持つ力云々だけの違いではないと認めざるを得ないわけだし」 「つまり、肉体とか何かに、通常、いや、大多数とは違うところがあるとでも 言うのか?」 ミーヤはリビングルームの方へ目をやった。パピのベッドである小さな籠と 三都子のベッドである大ぶりな籠。三都子。真夜気と同い歳の従妹と同じ名前 を持つ赤ん坊。しかし、その従妹は楓の婚約者、花里子と同じ日に生まれたと 聞く。麻木は先日、会ったばかりの二十八歳の花里子を思い浮かべた。必要が なくなったからと、楓は髪を本来の黒みの強い栗色に戻した。そして楓はふい にその髪とそっくり同じ色の髪をした花里子を麻木の前に連れて来た。次姉で ある環が間北 恵留に似ていたらしいのに、花里子は間北に似ていなかった。 楓の隣にいるためか、ありふれて目立たない、普通の娘に見えた。間北の方が 美人だったな。そんなことを思った途端、楓の視線を感じて麻木は背中に冷や 汗をかいた。 |