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 『はじめまして。大久保 花里子です』
ぎごちない挨拶の中に邪気は感じられなかった。初めて、麻木に対面し、緊張
した面持ちながら、精一杯のこわばった笑顔で挨拶する花里子は良い嫁になる
だろう。疲弊したミーヤの加勢にやって来た花里子は当初、あまりに手慣れた
ミーヤの仕事ぶりに度肝を抜かれたように見惚れていたが、自分に出来る仕事
を捜し、懸命に努めていた。今は到底、ミーヤには及ばない。恐らくは将来も
こなせないだろう。それでも花里子は精進を続けて行くはずだ。そう思わせる
だけの実直さが花里子にはあった。意外に努力する真面目な子供だった楓には
どこか、その辺りで通じるものがあるのかも知れない。花里子と話す時、楓は
穏やかな顔をしていたし、花里子の方も優しい目で見つめ返していた。似合い
なのだ。お嬢さん育ちで、すれたところがないとは言え、二十八歳の花里子に
はその年齢以上の人を包む力があるのだろう。彼女が楓を見つめる目は澄んで
いて柔らかく美しかったし、誰に向けられた時も色を変えることがなかった。
 楓は良い伴侶に恵まれた。自分の不用意な、見かけだけの判断を恥ずかしく
思い出しながら麻木はしかし、今、目の前にいるミーヤの意図をわかりかねて
いた。
___何で一族の身体的な異常を考えるのに、あんな赤ん坊を引き合いに出す
必要があるんだ? 
「その立派な二十八歳の花里子さんと三都子が同い歳だからですよ。あの子が
花里子さんや真夜気と同い年の、その三都子本人なんです」
 麻木は自分が聞き取ったはずの内容をまるで理解しなかった。理解出来ない
というよりは理解することを拒んだと言ってもいい。理解。それは即ち、納得
し、承知することに他ならない。事実として、自分の中に受け入れる。それが
どうしても麻木には出来なかった。楓のためなら。どんな超常現象にも慣れ、
いや、親しまなければならないと思う。だが、それは彼らの持つ異能力が魂の
成せることであればこそ、どうにか我慢し、対応出来ることだった。楓が水を
操り、ミーヤが暗示によって人を操っても、ユーマが不思議な炎を操っても、
麻木は一切の常識的な摂理を無視し、信じようと努めれば、どうにか出来た気
になれた。原理などわからぬまま、彼らが言う通りに魂の持つ何らかの力だと
信じられた。しかし、それと同様に肉体的な差違を認められるものだろうか?
 目に見える違いならいい。角がはえていようが、牙が見えていようが、尻に
尾があろうが、その程度のことは見慣れてしまえば、どうということはない。
まして、身体の一部が欠けているくらいのことで、その人間を差別するなど、
恥でしかない。だが、二十八歳の赤ん坊をどうやって、同じ人間と理解すれば
いいのか。いつだったか、ミーヤが朦朧とした中で呟いたこと。三都子の心配
に比べたら。三都子の不安に比べたら。自分のそれくらい、どうということは
ない。だから、我慢出来る。そうミーヤは言った。もしも、二十八年を掛けて
尚、花里子と同じ成熟した大人になれない女がいるのだとしたら、その事実を
どう理解すればいいのか?
「難しいでしょう? つまり、いつまでも、こうしてありふれた人間として、
当たり前に社会に溶け込んではいられない。日常に甘えて暮らせなくなるかも
知れない」
「どういう意味だ?」
ミーヤは目を伏せた。
「今は調べても、データとしての違いは出ない。だから、こうして無事に皆、
隠れていられる。言わなければ、おかしな能力なんてあっても、なくても表面
的には何ら変わらないから。でも、肉体に違いがあるのなら。数値として違い
を示せるようになる日が来るのかも知れない。やがては全て、露見するのでは
ないかと一族は恐れ始めているんです。三都子一人隠せば、それで安心という
わけには行かなくなるんじゃないかって」
 麻木はリビングルームの床に置かれた高価そうな籠を見た。初夏に相応しい
小さな女の子用のベッドは可愛らしい。籐を編んだ丸い天井が日差しを遮り、
彼女は安心して眠っているのだろう。しかし、一族にとって、彼女は未来への
不安を掻き立てる、不安要因そのものだ。彼らは自らの力は魂の力に過ぎず、
身体は普通だと信じている。いや、そう信じることで某かの安心を得ていた。
それも当然なのかも知れない。能力を持たない同族にさえ、化け物と呼ばれる
ような特殊な能力を持つ身には少数派であることは常に不安の基となり得るの
だろう。そんな中で歳を取らない、歳を取ることの出来ない彼女の存在を目の
当たりにすることは彼らにとっても気持ちの良いことではないはずだ。
「でも」

 

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