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 麻木はバン、と強くドアを閉めた。続いて降りる田岡は麻木が気を悪くした
と思っていることだろう。だが、麻木の方はただドアに八つ当たりしたに過ぎ
なかった。
 実際、今日まで田岡相手に本当に気分を悪くしたことなどない。田岡は年に
一、二度、妙に反抗的になったり、ひがみっぽくなって麻木を閉口させるが、
普段は悪気がない。日頃から誰に対しても横柄で、すり寄ることをしない男
なのだ。彼は麻木相手ならいざ知らず、出世コースにいる人間にさえ、態度を
変えなかった。だから、ある種、敬服もしたし、先々を案じてもいるのだ。
そう。こいつのせいじゃない。オレが今、ジリジリしているのは……。


 気に染まない対決を控えている。その事実を思うと、麻木の心臓はピクリと
跳ね上がる。
「オレの情報だと今日はオフらしいけど」
「それはファンクラブルートだろ」
「ええ。まぁ」
「そんなの、最初から“気が変わる”つもりの、やる予定のない話だ。ダミー
なんだ」
田岡は訝しそうに麻木を見やった。当然の反応だろう。だが、確かにその歌手
本人が実行するつもりで立てた、本当のスケジュールは別にある。
「絶対にここにいるよ、この時間はな」
オレは知っているんだ、その本気の、やるつもりの計画表の方を、な。

 白地に一文字、Kとだけ記された看板を見上げ、田岡はふいに拗ねたように
呟いた。
「でもね、もし、いたって、あのデブ社長が会わせてくれないでしょ?」
「いないよ。写真撮影の時はいない。カメラマンとそりが合わないからな」
田岡はますます訝しそうに麻木を見る。無能な老いた刑事が人気歌手の細かい
裏事情を知っているなど不可解この上ない話なのだろう。そして、その麻木は
怒ってはいなかった。しかし、自覚出来る感覚は怒っている時の不快感に似て
いる。
行く先に墓はあるのか』、か。


 気味悪い詩の一行と四つの惨殺体の残像が重なり合い、麻木の脳に黒く染み
ついている。この不安を一刻も早く、確実に取り除くためには、どんな相手と
でも怯まず、戦わなければならない。
オレの頭が正常なうちに決着を付けなくてはならないんだ。
「今日は絶対、空振りしないつもりで来たんだ。そうでなきゃ、こんな場違い
な所へ来るものか。あの四人の共通の知人に知らんぷりされちゃ困るんだ」
そう口に出すことで麻木は強く自分に言い聞かせ、自らを鼓舞しようとする。
今日ばかりは一刑事に徹しなくては勝ち目がない。
だって、あいつが相手なんだから。


 ベルを鳴らす必要はなかった。ちょうど内側から人が出て来るところだった
からだ。百七十pほどの小柄な男がドンとぶつかりそうな勢いで出て来た。
黒づくめの、いかにもその業界然とした身なり。小ぶりだが、その身体からは
威圧感のようなものが発せられている。麻木は束の間、彼の身体から匂う煙草
臭に気をとられ、その男が誰なのか、危うく見失うところだった。だが、彼の
方は一目で思い出せたらしい。
「ああ」
 そう発するなり、彼はやおらくるりと振り返り、屋内へ大きな声を投げた。
「おい、ああ、おまえでいい。楓を呼んで来い。面会だって、な。そう言えば
いいんだ。急げ」
言い捨てると男は麻木と田岡には一瞥もくれずに、スタスタと歩き始めた。
「何だ、あいつ」

 

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