back

menu

next

 

 他に代わりのいない一人息子なのだ。一事が万事、関心がないはずはない。
だが、立ち入ろうとは思わなかった。少なくとも、彼の仕事の領域にだけは。
「オレはあいつの歌手としての顔は知らない。だから、ああ答えたんだ。写真
やテレビの四角い枠の中にいるあいつには興味が持てなくてな。あれじゃあ」
と、麻木は壁のポスターを顎で示した。
「人形みたいで、自分の息子だって気がしない」
田岡はポスターを見やり、考えるような表情を見せた後、納得したらしく軽く
頷いた。
「まぁ、これは人間ぽくはないっすね。恰好いいけど。でも、さっきの楓さん
を見慣れてるおやじさんから見れば違和感あるのも当然かな」
田岡の口調はしみじみとしたものに変わって行く。
「だけど、そのポスターだって大人気なんすよ。それが欲しくて皆、予約した
り、思い切って店先からかっぱらったりするんだから。オヤジ世代にはピンと
来ないだろうけど、オレ達の世代だと麻木 楓って、現役の神様みたいなもん
だから。ある意味、人じゃないかも知れないくらい」
 話している間に田岡は平静さを取り戻したのだろう。次第に彼らしい幾分、
意地の悪そうな表情を取り戻していた。この分なら、きっと何か一言くらいは
言うだろう。毒を吐かずにいられない気性は心得ている。麻木が密かに覚悟を
決めた頃、田岡はニンマリと笑い、おもむろに口を開いた。
「しっかし、どっちにしろ、こんなにまで似ていない親子っていうのも珍しい
っすよね。アホウドリの親に白鷺の子が生まれるようなもんじゃないすか? 
はっ、はっ、はっ。とんだ遺伝子の冗談だな」
ふんぞり返り、高笑いしながらスタジオを後にする田岡相手に今更、怒る気も
しなかった。
荘六の場所も知らないくせに。
そう腹の内で毒づいて、仕方なく麻木も歩き始めていた。


 待ち合わせの店、荘六に着くまでに田岡は何度となく楓は綺麗だと言った。
確かに楓はすらりとバランスのとれた身体つきで過不足がない。無論、顔立ち
は整っている。仕事柄、必要なのか髪は肩口近くまで伸ばしているが、不潔に
は見えないし、その明るい栗色の髪に縁取られた顔は特別と言っても過言では
ない。そして、意志の強そうなくっきりとした輪郭。プライドを示すかのよう
な細く通った高い鼻。しかし、その二つが持ちがちな頑固であるとか、強情で
あるとか言ったイメージは楓の顔の中では目立ってはいなかった。なだらかで
円満そうな広い額と緩く弧を描くやや細めの眉は優しげだし、心もち薄過ぎる
きらいはあるものの、唇は形良く、清潔感さえある。何よりも切れ長の目の下
側、わずかなふくらみが彼の顔全体を穏和で柔らかなものにしていた。
 確かに楓は容姿に恵まれている。だが、楓以上の美貌の持ち主も稀にはいる
だろう。それにも関わらず、彼が揺るがない一位の座に居続けるのはつまり、
顔形以上の、何らかの価値を他に持っているからではないか。そして、それは
彼の持つ雰囲気そのものなのではないか?
あいつは何かを一枚、余計にまとっているような感じがするんだ。
決して、楓は皆のように剥き出しではないと思う。確かに楓が持つ、見えない
何か。そこにいるという気配こそが彼だけが持つ価値であり、その独特な存在
感が楓をより非凡なものに高めているのではないか、と麻木は考える。 
おかしな話だが。
妻を亡くして以来、麻木が一人で育てた息子なのだ。当然、麻木自身が誰より
はっきり、その全てを知っている。それにも関わらず、麻木は楓の顔立ちに、
物腰に特別の育ちを感じ取る。そして、それは父親にすら不用意に触れること
を許さないオーラであることも感じ取っていた。
普段は感じない。だが時々、拒まれるような気がするんだ。
その雰囲気だけをプロカメラマンが強調すると、あんな空寒いポスターが完成
するのだろう。まるで魔界の住人であるかのような。

 

back

menu

next