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 楓は優しい人間だと知っている。忙しい中でもこまめに家へ立ち寄り、顔を
見せてくれた。麻木の方からそうしてくれと、ねだったことはないつもりだ。
だが、そうすることで父親が安心すると察し、手間を惜しまず、楓は実行して
くれた。面倒を厭わず、何より父親を気遣ってくれたのだ。優しい気質である
ことに間違いはないだろう。むろん、一歳で母親を亡くして以来、ずっと父と
子二人きりの家で育ったからか、楓には父親に気を遣う習慣が身に付いている
のだと思うし、ある意味、それも惰性の一種なのかも知れない。だが、それで
も麻木には優しい息子が自慢の種であり、生きる糧だった。
楓はいい人間だ。ずっと良い子だったんだ。
 振り返って見ると、今日まで一度たりとも楓に手を焼かされたことがない。
頭が良く、穏和な楓を悪く言う者などいなかったし、大体、欠けたところすら
なかった。いや、欠点があるのか、否か、それすら考えたこともないまま、三
十六年も親子として一緒に過ごして来たのだ。それだけに第一の死体が生前、
楓のスタッフを務めたことのある男、青田だと判明した時、麻木は息子がどれ
ほど驚き、そして悲しむだろうかと案じたのだが、楓の反応は予想しないもの
だった。
あんなの、有り、か?


七月初旬。
 楓は短い空き時間を利用して、家に戻って来た。庭好きの彼は時々、木々の
様子を見に帰って来る。その日もいつもと変わらぬ様子で楓は夏の生い茂った
庭木の下に立っていた。麻木が休日にするまとめ買いを終え、帰宅するとそこ
に立っていて、やはり、嬉しそうにニコリと笑ったのだ。
『おかえりなさい。今日は暑いね』
何の苦もなさそうな調子で。長袖のシャツを着た楓は額に汗を浮かべていた。
健康そうだし、幸せそうにも見えた。
そう。
 思いがけないほど楓は平静だった。その様子を見て、麻木は何も聞かされて
いないのだと思った。あの事件が発覚し、世の中が大騒ぎしている最中、彼は
イギリスに行っていたし、帰国したのはほんの一日、二日前だ。疲れていて、
テレビを見ていないのかも知れない。それに長期間留守をするなら、賢い彼は
新聞を止めていたのかも知れない。
『こんなに暑いと、時差ボケにはきついね』
やはり、未だ知らないのだ。そう解釈し、麻木はその日は何も言わなかった。
わざわざ傷付けることはない。日本にいれば、おのずと耳に入ることだ。その
時は出来る限り慰めてやろう、そう考えた。
 しかし、その後、何度、顔を合わせてみても、楓の様子は変わらなかった。
まるで事件のことなど知らないふうなのだ。新聞を読む楓がいつまでも事件を
知らないはずはない。その上、事件は繰り返され、しかも、ことごとく自分の
知人なのだ。無関係でいられるはずがなかった。だが、第二の死体が佐野だと
判明した後も楓は平静だった。第三の死体が朝倉とわかった時も同様だった。
おかしい。楓が口にしない以上はと黙っていた麻木もとうとう我慢しきれなく
なり、問いただそうと試みた。
 真意を知りたい。そう思い、まず名を呼んだが、続きは上手く運ばなかった
。振り向いた楓は疲れた様子で気分がすぐれないと言った。その辛そうな様子
を見て、麻木は他人の死骸のことなど瞬時に忘れ去ってしまったのだ。そして
五日前。第四の被害者までもが息子の知人であったことに驚き、やっと麻木は
折良く帰宅していた楓に尋ね得た。
『どういうことなんだ?』
『僕、知らないよ。家で死体の話なんてしないでね。気持ち、悪くなっちゃう
から』
『気持ち悪くって、おまえの知人の話なんだぞ』
『だって、何も知らないんだから無関係でしょ』
拗ねた調子は楓らしい。しかし、極めて素っ気ない言い回しに麻木は二の句が
告げられなかった。


 一体、あの無関心はどこから来たものなのだろう? 四番目の被害者、豪田
は失踪前日、楓を事務所近くで待ち伏せている。楓が豪田に会った裏は取れて
いる。だが、その事実を楓は一度も口にしようとしなかった。まるですっぱり
忘れたかの如く、けろりとしているのだ。
なぜだ? 
豪田とは他の三人より、ずっと付き合いがあったはずなのに。
「おやじさん、ここでしょ?」
顔を上げると車は荘六の駐車場に止められていて、田岡は不思議そうに麻木を
見ていた。

 

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