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 楓はすっと表情を消し、暗い目で麻木を見据える。その視線のあまりの暗さ
に麻木は思わず、ぞくりとした。これまでに見たこともないほど、冷えた闇を
秘めているように見えたからだ。
「楓?」
「話したっていいんだよ。でも、お父さんは警察の人だもの、とっくに何でも
調べて知っているんでしょう? そうだよ。僕は迷惑していた。だって、あの
人達は僕には理解出来ない人達だったから」
楓の静まり返った夜のような無表情に喜怒哀楽など何も見て取れない。だが、
その内心は複雑に違いなかった。
 殺された四人の楓への偏執ぶりは異常なものだった。それをまともに一身に
受ける楓にしてみれば傍迷惑な負担でしかなかったはずだ。
何しろ四人がかりで楓一人に嫌がらせしていたようなものだからな。
世の中には考えさえすればわかることがある。実際、麻木は楓の言葉を受け、
ほんの少し考えてみた、それだけで、すっかり気が重くなったのだ。殺人鬼が
四人を仕留めた。だからこそ、楓にとっては迷惑な、だが、あの四人にとって
は正当な愛情とやらも彼らの命と共に消滅したのだ。裏返して言えば、あんな
事件でもなければ、楓が四人の変質者共から解放されることはなかった。その
主観を麻木に移して言うならば、結果的に連続殺人犯に我が子を守って貰った
ようなものだった。不甲斐ない父親が気付いてもいなかった楓の苦痛の原因を
殺人鬼が滅したのだから。
「悪かった。早く犯人を逮捕したくてな。正直、焦っていたんだ」
「いいよ、お父さんは警察の人だからね。仕方のない話だよね」
警察の人だから。
だったら、何が、どう仕方がないと楓は言いたかったのだろう?
 麻木には楓の吐き出した言葉の意味がわからなかった。ただ。今回も自分は
一刑事に徹することが出来なかった。そう知ったに過ぎない。しかし、それも
致し方ないとも思う。
オレには出来ないことだからな。
麻木には楓の心の傷口を見ていながら、その奥にあるかも知れない情報欲しさ
に、その傷の奥へ指を突っ込むような真似は出来なかった。
そうだ。
楓は疲れている。オレが思うよりも、ずっと疲れているんだ。
まち子の店で表情が冴えなかったのも、そのせいに違いない。楓は四人が惨殺
されたことでようやく迷惑な愛情から解放された。しかし、それは当人にして
みれば、複雑な安堵なのだ。あんな迷惑な四人でも殺されたとあっては手放し
に喜べない楓を不憫に感じ、麻木は今夜はこのまま帰ろう、そう決めた。

 下まで送ると、楓も一緒に廊下へ出て来た。そしてエレベーターを待つ間、
彼の目はぼんやりと六階へ続く階段の、入り口へと向けられていた。その鉄柵
の向こうの一体、何に楓は惹かれるのだろう。到着したエレベーターにすぐに
は気付かないほど熱心に楓は柵を見つめている。
「おい」
「あ、うん」
父親に呼ばれてようやくエレベーターに乗り込んだ楓に田岡が尋ねた。
「あの柵が気になるんすか? 一体、何でまた?」
「どうしてかなと思って」
「えっ?」
「あの花台、前は花を飾っていたんだよ。でも、一年くらい前からなのかな。
ほとんど活けなくなった」
「単に飽きたんじゃないんすか?」
「そうかな。趣味嗜好って、そう簡単に変わらないものなんじゃない? それ
に変なんだよね」
「変?」
「あの台ね、柵の向こう側だったり、こっち側だったりって置き場所が変わる
んだよね。花だって活けられていたり、いなかったり。花瓶だけがあったり、
なかったりするから何パターンもあることになるよね。それって、何か意味が
あるのかなと思って」
楓の返答を受け、田岡は仕方なさげに微笑む。彼には楓の興味が子供の好奇心
に似て見えたのだろう。
「くだらない?」
「いや」

 

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