小岩井には取り付く島もなかった。どうあっても麻木を医務室に案内する気 はないのだ。ごねても無駄だと知り、仕方なく麻木は田岡と共にマンションを 後にする。翌日には勤務がある。田岡を帰さなくてはならない。しかし、それ でもすぐにガレージへ向かう気にはなれず、寒空の下、植え込みの煉瓦に二人 並んで腰を下ろすことになった。しばらくの間、二人は押し黙っていた。麻木 は肝腎な場所に入れて貰えず、田岡は妙なことを言われ、お互い、喋るつもり になれなかったのだ。だが、ややあって、まるで放心しているようだった田岡 が口を開いた。 「オバケって、あれ、どういう意味っすかね」 ずっと自分が真夜気に言われた言葉を気にし、内心で反芻していたようだ。 「あの言いぐさだとオレがカッとなったんで、それでオバケが出て来て。それ で、それを見た楓さんが驚いて気絶したって、そんなような話に聞こえますよ ね」 「真に受けることはないさ。あれは名前も変わっているが、性格だって随分、 変わっていそうな男だったじゃないか。気にすることはない」 「ふぅん。そうっすかね」 田岡はホッとしたのか、がっかりしたのか、わからない調子で呟いた。 「本当に冗談なのかなぁ。別に受けを狙うような場面じゃなかったと思うんす けどね。ネタとしてはイケてなかったし」 「何だ? おまえ、あんなことを本気で言う奴がいると思っているのか?」 「でも、さっきの人はお医者さんだし。それに何たって、楓さんは霊感が強い でしょ? だったら、もしかしたら、楓さんにならオレには見えないオバケも 見えて、それで気持ちが悪くなったってことも有り得るのかなぁって」 この華奢な若者は一体、何を言い出すのだろう? 麻木は不快のあまり、吐き 捨てた。 「楓に霊感なんてない。あるわけがないじゃないか? オバケなんていないん だからな。いもしないものが見えるなんて言う奴は嘘吐きだ。そんな嘘吐き共 とオレの息子を一緒くたにするな」 麻木の怒気に満ちた剣幕に怯んだ様子は見せたものの、田岡は言われっ放し で引くことはしなかった。彼にも譲れないものはあるらしい。 「いる、いないはオレにはわからないけど。だけど、実際、楓さんには霊感が あるんっしょ? だって、大昔からファンクラブじゃ定説っすよ。楓さんには 女の霊が憑いていて、その人が楓さんを守っているって。言い辛いけど、あの 一連の事件だって、触っちゃいけない大切なものに触ろうとしたから、それで 罰が当たった、祟りだって、皆、信じているくらいなんすよ」 「それじゃ、あの四人が楓にまとわりついていたから、そのお守り女オバケに 祟られて、殺されたってことか? 馬鹿馬鹿しい。刑事のくせに何を言い出す んだ? それじゃ、とんだオカルト集団じゃないか。他人の息子を好き勝手に インチキ教祖に祭り上げないでくれ。気色が悪い。楓だって、いい気がしない だろう。そんなデマ、楓は知っているのか?」 「心配しなくたって、誰も楓さんには言いませんよ。だって、祟りがあるかも 知れないんだから」 到底、正気とは思えない御意見だが、麻木は内心、小さく納得もしていた。 だから、か。 こんなオカルト好きのファン達のためにカメラマン、九鬼はわざわざ楓を魔界 の住人のように撮るのだ。娘時分にはそんないかさまに熱を上げる時期がある らしいから、それはそれで良い商売手法なのかも知れない。 ほんの一過性のものだろうからな。 だが。 「おまえみたいな一人前の、大学まで出た大人の男がそんな非科学的なことを 信じるものなのかね。馬鹿馬鹿しい」 「信じる、信じないに学歴も歳も性別も、一切、関係ないでしょうが」 田岡は不服そうに口を尖らせる。 「この程度のことで馬鹿呼ばわりされちゃかなわないっすよ。世の中には宇宙 人とコンタクトを取るんだってキャンプに行くような、そんな連中がいるんす よ。そんな奴らじゃあるまいし、馬鹿はないでしょ、馬鹿は」 まさか。 田岡にはそんな知人もいるのだろうか? 若い世代に特有とも言える超常現象 好きは麻木には想像し難いレベルにまで到達しているらしい。 「宇宙人に比べたら幽霊なんて当たり前でしょ。身近でしょ? 常識でしょ、 誰にでも守護霊はいるって言うんだから」 「守護霊?」 |