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「守護霊だって?」
麻木は我知らず、不満のあまり、片眉を吊り上げた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。誰が死んだ後にまで他人の面倒を看るって言うんだ? 
生きている内だって、精々が自分の面倒しか看られないっていうのに、死んだ
後にまで一体、どこのどなたがそんな奇特な真似をするって言うんだ? いい
か? この世には幽霊なんぞいない。絶対にいないんだ。人間なんて死ねば、
ゴミだ。放っときゃ腐る生ゴミなんだ。燃されて灰になって、それっきりだ。
忘れるな」
麻木は早口に毒づき、息を継いで、それから小さく続けた。
「もし、霊なんて何かが、存在するんなら。そんなものが本当にいるんなら。
オレが見てみたい。会ってみたいさ。オレは女房の死に目に会えなかったから
な。その日は夜勤だったんだ。かわいそうなことをした。きっと、オレに言い
たいことがあっただろうに。何一つ聞いてやることも出来なかった」
「そうだったんすか」
田岡は遠慮がちに頷いたきり、何も言わなかった。それは若い田岡なりの思い
やりだったのだろう。田岡の静かな心遣いに触れる内、麻木は改めて妻の無念
が自分の胸に甦って来るような、そんな気がしていた。
「楓は一歳だった。さぞかし心残りだったことだろう」
「一歳? たったの一歳の子供を残して死ぬなんて辛いでしょうね」
田岡はしみじみと呟く。
「そりゃあ、人の生き死になんて、いつまでって自分では選べないものだろう
けど。それでも、せめて子供が十幾つになっていれば少しは気が楽と言うか、
信用出来る人に頼めれば、いくらか安心も出来るんだろうけど。それでも一歳
は酷っすよね。小さ過ぎるよ、一歳は」
 麻木は傍らで一人、何やら考え込み、切々と唱え続ける田岡の心情の全ては
推察出来なかった。ただ、その口調に優しいものを感じる今、今の内に先程、
彼が放った不穏なセリフは冗談にしておこうと思い付く。
あれはキツかったからな。
「オバケ云々より、さっきのおまえの冗談の方がえげつなかったぞ」
「ああ」
田岡は自分でも認めるように頷き、疲れた笑みを見せた。
「確かにそうっすよね。でも、半分は本気っすよ。楓さんがあんなくだらない
冗談言うから、つい、カッとなっちゃって。それに」
田岡はしばし考えるように視線をさまよわせた。
「それに」
「それに、何だ?」
「それに。つい口を突いて出たような言葉って、自分で思う以上に本音だって
言うじゃないっすか。だから、実際、オレもさっきは本当に楓さんを殺しても
いいって思ったのかも知れないと思って」
「おい」
「あくまでも想像の話、っすよ。だけど。ファンだから楓さんには元気でいて
欲しいし、今のまま変わらずにいてもらいたいんすよ。もっともファンなんて
所詮、家族じゃないんだから、楓さんの引退後なんて本当は想像もしていない
のかも知れないな。楓さんの老後の心配なんてする必要がないんだし。あっ、
そっか。本当はどうなっても関係ないんすよね、家族じゃないんだから」
家族か。
「そっ、か。じゃあ、やっぱり似ちゃうのか。そうだな。親子だからな。父子
じゃ、な。そりゃあ似るよな。え、似るのかよ。こうなるのかよ? えーっ」
 ブツブツと一人、呪文のように田岡は呟く。麻木はその様子を眺め、やがて
一つ、息を吐いた。
「楓はオレには似ないよ」
ふと見上げた黒い夜空に星は見えない。一つたりとも。
「似る心配はないんだ」
 誰に頼まれた訳でもない。麻木は自分で話していながら、なぜ自分がこんな
ことを口にしているのか、まるでわからなかった。ただ、余計なことをしたと
思う感触もなかった。
「何年経っても、な」
 短い沈黙を破ったのは田岡だった。
「オレ、帰ります。夜更けに妹一人じゃ、危ないっすからね。何たって、魅惑
のDカップだし、顔も結構、可愛いから。今時、物騒だもの」
「車で帰れ。オレは楓の様子を見てから帰る」
「はい。じゃ、失礼します」

 

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