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 麻木は実は何度も、この男、田岡は豪放を装っているだけなのではないかと
疑ってみたことがある。笑いはする。だが、田岡は決して、心底からだと信じ
得るだけの喜びの表情を見せたことがなかった。もぐもぐと口一杯に菓子パン
を貪り食べる様子に麻木はいつも引っかかる、どこか不自然な違和感を感じて
いたのだ。それと同時に確かに、病的なものも感じていた。しかし、こんなに
も無邪気な喜びようを見ると、田岡が楓は現役の神様だとまで言い切ったのは
満更、お世辞ではなく、本心だったと取っても良さそうだ。
本音も言っているんだな、ちゃんと。
「楓ちゃん」
小走りに楓を追って来たまち子の呼び掛けに楓が振り向く。その動きに合わせ
て小振りな頭にまとわりつくように長い髪が揺れるのを麻木はボンヤリと見て
いた。
「楓ちゃんもビールにする? お酒もね、いいのがあるのよ」
「ううん。今日はお茶を下さい。明日、顔がむくむと困るんで」
「了解」
 戯けた返事を残して、まち子は駆け戻る。それを見送った楓が席に着くのを
待って田岡は口を開いた。
「オレね、楓さんがデビューされた時から大ファンなんすよ」
聞いたこともないような調子だった。
「学生時代は恥ずかしながらコピーしてたんす。兄妹して大ファンなんです。
妹なんてファンクラブに入ってるくらいっすから」
「ああ」
「ああって?」
あたかも知っていたかのように楓は頷き、怪訝な顔に変わった田岡に微笑んで
見せた。
「知っているよ。田岡 るみさんでしょ」
図星だったのだろう。田岡は目を丸くし、しばらく身動き一つしなかった。
「確か、るみさんはデパート勤務だったよね」
「何で?」
 田岡は興奮のあまりか、起き上がり、膝立ちとなった。それもそうだろう。
麻木だって驚いている。田岡が芸能人の楓を知っているのとは意味が違う。
本来、知るはずがないことなのだ。
「何で、何で知っているんすか?」
掴みかからんばかりに興奮した田岡を、楓は平穏な笑顔で眺めている。まるで
大したことではないように。
「何で、楓さんがうちのるみなんかを?」
「何でって、ファンクラブの会員だから。用紙に書き込まれていたことくらい
は知っているよ。ああ、覚えているって言うのか」
「うっそお」
田岡は悲鳴のような大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。それって、まさかファンクラブを丸ごと、
全員、記憶しているってことっすか? え、でも、だって、麻木 楓のファン
クラブって言ったら、凄い人数じゃないっすか?」
「アイドルじゃなし、大した数じゃないよ。一度に百人、覚えるわけじゃない
し」
「そんな馬鹿な」
「第一、るみさんはよくファンレターくれるし、お兄さんが刑事だって書いて
あったから。うちもそうだからね。覚えて、当然でしょ?」
「へぇー。そういや、あいつ、よく手紙書いているけど、でも、まさか天下の
麻木 楓に出していたなんて。思いつかなかったな。あ、ファンレターって、
読んでるんですか?」
「僕宛なんだよ、無視出来ないでしょ? それに興味深いしね」
楓は思い出したように小さく笑う。
「妙に僕にそっくりな人がいて笑えるよ。自分で書いたんじゃないかって思う
くらい、発想とか似てるの」
「じゃ、会ったりも?」
「しない。その人、名前、書いていないから」

 

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