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 瞬時にして好奇に輝き始めた田岡の目を見、まち子は一層、楽しげに艶やか
に微笑む。話したくてたまらないと言う風情がはっきりと見え、麻木もさすが
に放っておくことが出来なかった。
楽しい食事がしたくて、ここへ来たんじゃない。
これ以上、ここではしゃげば、せっかく用意した覚悟が消滅し、その上、しば
らく湧いて出て来ないような気さえするのだ。
どうあっても、これ以上、ここで楽しんではいけない。
そう、麻木は直感していた。
「つまらない話をするな」
制する麻木をしかし、まち子は気に留めなかった。彼女は話したくて仕方ない
のだ。
「やめないか」
「いいじゃない。古い話なんだから」
まち子は一体、どの話を持ち出す気なのだろう。見当がつかないから厄介だ。
ヤキモキしている麻木の前でとうとうまち子は上機嫌のまま、口火を切った。
「旦那はね、刑事のくせに職務質問されたことがあるのよ」
「へっ?」
「昔、楓ちゃんを連れて公園歩いてて、ほら、あまりにも似ていない可愛い子
でしょ。だから、おまわりさんに目を付けられて、尾行されてね」
まち子はこみ上げて来る笑いを押さえつけるようにその肩を震わせる。
「何と、本気で職務質問されちゃったの」
 田岡はプッと吹き出すとその途端、頭の中を巡る配線の一本が切れでもした
ようにケタケタと笑い出した。
「ね、おかしいでしょ? 自分の子供を連れてて、職務質問よ? 可愛い男の
子を連れ回す変質者と間違われたのよ。刑事なのに誘拐犯と思われたのよ?」
十秒経っても、二十秒が経っても田岡の馬鹿笑いは止まらない。受けたことで
まち子の機嫌も更に良くなって来た。
「でね、そのおまわりさん、どうしても納得出来なかったらしくって、何度も
何度も楓ちゃんに本当に坊やのパパかいって聞いたんだって」 
 麻木は無言のまま、上機嫌で光り輝くまち子の笑顔を見据えていた。彼女の
話は事実だ。嘘ではない。疑われた覚えはあった。
だが。


 腑に落ちない。事実には違いないが、どうしてそれをまち子が知っているの
か、それが麻木にはわからないのだ。昔から荘六へは楓を連れて来ていたが、
その話を自分が持ち出したとは思えない。刑事である自分が職務質問を受けた
などという恥ずかしい体験をして、それを笑い話に出来るような度量はないと
麻木は自覚している。
オレじゃない。オレは話していない。
しかし、もう一方の当事者、楓も進んで何か楽しい話を提供しようと努める質
ではないし、第一、当時は本物の子供であり、まち子を笑わせようと工夫する
はずもなかった。
だったら、誰から出た話だ? 
あの時、そこにいたのはオレと、楓と、巡査だけ。
いや。他に誰かいたのか?

 

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