ドアを開けたすぐそこに白い猫は座り込み、じっとばかりに麻木を見上げて いる。ペットショップの最奥に陳列されるような白い猫だ。つややかな純白の えらくたっぷりとした毛皮をまとい、贅沢好きだろうと思われる丸い顔をして いる。目は透き通った水色で、太くて長い尾を揺すっていた。顔立ちはいいの だろう。麻木は三毛と虎とキジ猫くらいの区別しか付かないていたらくだが、 それでも高級な猫だと察せられた。それに猫自身、自分の価値を自覚している らしく、迷い込んだと言うような心細げなものは微塵も感じられなかった。 自信たっぷりに麻木を見上げるそいつは堂々として、麻木なんぞよりはるかに 偉そうだ。この風変わりなマンションの住人に間違いなかった。 ん? ふと見咎める。青いベルベット地の首輪に無色透明の大きな玉が四つか、五つ 付けられていて、それが見事にピカピカと煌めいている。束の間、ダイヤでは ないかと疑うほどの瞬き。 まさか。 猫の首輪にダイヤを飾る馬鹿はいまい。 そう思い直さなければならないほど、大きな石は神々しく煌めいている。 本当にダイヤってことはないよな。 ミャー。猫はもう一度、さも焦れったそうに鳴くと、今度は麻木の膝上に右の 前足を押し付けて来た。ぐっと体重を掛け、これでもわからないかと凄むよう に猫は更に前足を押し付けて来る。そいつにはどうやら、麻木に訴えたいこと があるらしい。だが、見知らぬ猫は一体、何を所望しているのだろう? 抱き上げろと言っているのかな? しばらく考えたが、答えが見つからない。仕方なく麻木は今、出来ることを 選択してみる。こんな所で水やエサの類を求められても困るだけだし、猫の方 も望まないだろう。それに猫は麻木の膝上に体重を移して、のし掛かって来て いるのだ。 どう見ても、そうだよな? しかし。 半信半疑のまま、猫を見つめてみる。この猫には警戒心がないのだろうか? いきなり、見ず知らずの他人にそんな要求をする猫を麻木は見たことがない。 だが、眼下の猫はそう言っているようにしか見えず、麻木はたじろいだ。 猫なんて昔、まち子の家にいた連中に触れたことがある程度だからな。 馴染みのない生物。それでも麻木が無視して通れないほど、その猫には迫力が ある。自分が求めれば、何でも思う通りになるとふんでいるらしい。白い猫は 焦れて今にも怒り出しそうだった。 仕方ない。 腹は括ったつもりだ。しかし、猫に命令され、従うと思うと癪ではないか。 結果、麻木は考え方を改める。きっと飼い主はこの猫を捜しているだろうと。 これは親切なのだ。それに通路を挟んだ向かいにある守衛室に抱えて行けば、 それで済むことではないか。そう考えるとすっかり気楽になって、麻木は思い 切って、猫へと手を伸ばした。恐る恐る差し伸ばしたぎごちない手に白い猫は おとなしく身を預け、首尾良く麻木の胸に収まると満足そうに喉を鳴らした。 最初からそうすれば良かったのだ、と言っているような感さえある。あまりの 押しの強さと大胆さに呆れもするが、抱いた猫の感触は悪くなかった。大切に されて健康なのだろう、その毛並みの光沢は素晴らしかった。楓の赤く傷んだ 髪の方がよほど無惨で、孤独を漂わせているようだ。 こいつの方が幸せなのかもな。 しなやかな筋肉を覆い隠す柔らかな感触は心地良く、病みつきになりそうだ。 すっかりいい気持ちになって麻木は立ち止まったまま、しばらく猫の首筋を 撫でていた。 老後には猫でも飼って暮らすかな。 それも悪くない。気が紛れるのはいいことだ。退職を待たずに一匹、飼うのも いいかも知れない。 柔らかでふわりとした温かな身体を抱いているだけで、こんなに良い気持ちに なれるのなら、良策ではないか。気味の悪い四つの惨殺死体を思い出しながら ボンヤリとするよりも、猫の相手をしている方がずっとましだ。そう思った。 |