九鬼は疑わしいと考え付く。だが、現実はどうだろう。四人が失踪した時々 に九鬼は必ず、大勢のスタッフと共に仕事をしていた。大勢に囲まれていたの だ。彼のアリバイは揺るがないだろう。何より、彼には動機がない。もしも、 困り果てた楓が九鬼に自らの窮状を告白し、悩みを吐露したとしても。それに 彼が同情するのか否か、それすら量りかねた。しばし考え、麻木は息を吐く。 有り得ないか。 相談されたとしても。九鬼は危険を冒さないだろう。失うものが大き過ぎる。 もったいないと思うじゃないか、誰だって。 九鬼は楓に指名されて、チャンスを得た。それをきっかけに物の見事に駆け 上がり、今ではスタジオを構え、超一流と呼ばれるかも知れない時期がそこに 迫っている身だ。 誰に頼まれたって、そんな成功を無にする馬鹿はいないだろう。 それにあいつは馬鹿じゃない。 だから、異例と言われるほど早く出世したんだ。 チャンスは能力のない者には決して、回って来ないものだし、日々、努力して いなければ、掴めないものなのだ。麻木は重いため息を吐いた。確かに捜査は 行き詰まっている。八方塞がりと言ってもいいだろう。窮地に立っているとは 言え、しかし、虫が好かないというだけで人を疑ってはならない。まして九鬼 は楓の友人なのだ。自重を込め、麻木は九鬼という男を再評価してみる。 九鬼 渡は孤独な少年期を過ごしたのだ。一人で生き抜いて来たような男に 多少、鼻に付くきらいがあったとしても、致し方ないことなのかも知れない。 アルバイトを重ね、自力で専門学校を卒業し、楓の写真を撮ることになるまで には大変な耐久生活を送ったと聞く。当時、どこかで九鬼を見掛ける度、楓は 彼の体調を心配していたものだ。 『ちゃんと食べていないんじゃないのかな、顔色、悪かったもの。九鬼って、 大丈夫なのかな』 九鬼を見る度、心配し、同じようなセリフを口にする楓にある日、麻木が何か 持って行ってやればいいと言うと、楓は一瞬、目を丸くし、それからさも幸せ そうに微笑んだ。 『ありがとう。でも、そんなことをしたら、彼、飛び降りちゃうよ。そういう 人だから、九鬼って』 楓にあれだけの評価を受けている男なら、間違いはないはずだ。彼の表面的な 短所には正直、閉口する。しかし、それくらいは彼の持つ才能の前ではどうで もいいことなのだ。 ただ。写真の好みがオレとは異なるってだけで。 麻木はいくらか血の気の戻って来た楓の様子に安堵すると同時に、一息吐き たいと思った。時計の針は午前五時を回っているが、眠気はない。張り詰めて いた緊張が溶けて、そろそろ消毒臭のない空気を吸いたいと思うようになった らしい。 こんな薬臭い空気ばかり吸い込んでいては身体が固くなるし、な。 一旦、リラックスして、それから楓の元に戻ろう、そう思い、席を立った。 そして、廊下へ出ようとした矢先。麻木は思わぬ障害物に足を止めた。いや、 止めざるを得なかった。ミャア。そいつはすました顔で、そう鳴いた。ミャ。 もう一度。甘えて見せているつもりなのか、それとも、凄んでいるつもりなの か。麻木には区別が付かないことだ。見慣れない生き物は小柄で、しかし、か 弱い存在なのかどうかは疑わしいふてぶてしさで麻木の進路を立ち塞いでいる のだった。 |