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その威嚇を見て、気弱な警備員が慌てて口を挟む。
「小鷺さん、無理はしない方がいいですよ。僕、お呼びして来ますから、それ
までお願いしてしまいましょうよ」
「いや。このままってわけには」
「馬鹿パピ、何、やっているんだ?」
ふいに加わった新しい声に猫は背中の毛を納めた。階段を下りて来た真夜気は
ぞんざいな調子だったが、猫の方は嬉しそうな声を上げて返す。ミャア。
「おまえが蒸発なんてするから、オレまで捜索に駆り出されちまったじゃない
か。せっかくビデオ見ていたのに。良いところだったんだぞ」
近付いて来た長身の真夜気に頭を撫でられ、猫は機嫌良さそうに目を細めて、
喉を鳴らす。どうやらパピにとっては小鷺より、こちらの、より若い男の方が
身近な存在らしい。猫は露骨に人を選び、差別して見せたのだ。
「もう気は済んだのか?」
真夜気はパピの左前足を掴み、くいくいと引っぱるが白い猫の機嫌に変わりは
なく、よほど信用しているらしかった。
「早く家に帰ってミーヤの番していろ。オレはこの辺で引き上げるから。また
来るよ。交代しようぜ、パピ」
ミャー。猫はあたかも承諾したかのように一鳴きすると、するりと麻木の腕を
抜けて、意外に身軽に床へ舞い降りた。それから迷うそぶりも見せず、悠然と
エレベーターの方へ歩き出す。小鷺と警備員には一瞥もくれず、悠々と彼らの
前を通り過ぎ、当たり前のようにエレベーターに乗り込んで白い猫は真夜気を
振り仰ぎ、そこでおもむろに鳴いたのだ。ミャー。
「手間のかかる女だな。ボタンが押せないのかよ。大体、少しは歩けよな」
真夜気は不服げにそう言いながらも足早に行き、彼女のためにボタンを押して
やった。こちらを向いて座った猫は誰に向けてか、左右に大きく尾を揺らして
見せた。ミャー。まるでお別れの挨拶だ。真夜気はうんざりした調子で、それ
でも猫のために小さく手を振ってやった。
「はい、はい。バイバイ。またな。おやすみ」
がらがらとドアが閉まると、真夜気はため息を吐いた。
「あいつが死んだら解剖させて欲しいよ、まったく。毛皮の下にちっちゃい女
が入ってるんじゃねぇのかな」
そう一人ごち、それから真夜気は麻木を見やった。初対面の時より彼の機嫌は
ずっといいようだ。
「世話かけたな、おじさん」
「いや」 
浅黒く、痩せた顔の鼻は細くて、高い。薄い唇は横に大きく、大した造作では
ない。だが、漆黒の長い髪と小さいが、良く光る目の威力か非常に強い印象を
残す良い顔だった。
面白い顔だ。
目の輝きの効果か、態度は横柄だが、別段、悪い気は起こさせない。おおらか
であけっぴろげな性格が誤解を招くのだろう、そう好意的な解釈さえ出来た。
押しの強そうな雰囲気はやはり金持ち特有のものかとも思うが、小鷺と真夜気
の印象はまるで異なった。小鷺は温室で大切に育てられた鉢植えのようだし、
一方の真夜気は熱帯で好きなように生い茂った木のようなのだ。ただそれだけ
の違いだが、麻木にはその差がひどく大きく見えていた。 

 

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