「さっきは息子が世話になったな」 真夜気は麻木の顔をじっと見据え、それから小さく苦笑いした。 「礼を言っているようには見えない、損な顔だな、おじさん」 至って正直な感想だった。愛想のない顔をしているのは紛れもない事実だ。 「これが地顔なんだ」 「そりゃあ、いい。嘘吐きのニコニコ作り笑顔なんぞより、ずっとましだよ。 じゃあ、な、おじさん」 大笑いしながら玄関へと向かう真夜気の後ろを若い警備員は怖がりな飼い犬の ように付いて行く。彼は小鷺より、真夜気を恐れている。先程まで小鷺に付き 従っていたくせに真夜気が現れるなり、あっさりと方向を改めた。 ま、当然か。 住人の一人に過ぎない小鷺より、ミーヤの従弟の方が大事なのだろう。麻木は もちろん、小鷺をも忘れたように若い警備員は真夜気に付いて行き、必然的に 小鷺は麻木と共にその場に取り残された。 「すみません。失礼しました」 申し訳なさそうに小鷺は詫びるのだが、麻木には彼が一体、何を謝っているの か、さっぱりわからなかった。初対面の彼に詫びて貰う理由はなかった。麻木 は迷子の猫を拾っただけなのだ。 「何の話だ?」 「悪気じゃないみたいなんですけれど」 どうやら先程の真夜気の言動を無礼なものとして、謝っているらしい。小鷺は 心配そうに麻木のしかめっ面を見ている。麻木が気分を害したと勘違いして。 オレは地顔のまま、普通に暮らしているだけなんだが。 こんな仏頂面に生まれた者は皆、四六時中、他人の誤解を避けるために、他人 に要らない心配を掛けないために、笑みを作り続けなければならないと言うの だろうか。ふと、そんなことを思い付く。笑っていれば御機嫌で、しかめっ面 だから不機嫌というものではないはずだ。表面的な様子をそのまま腹の内だと 受け取るのは簡単だ。しかし、それが全て、いつでも真実に基づいているとは 限らない。実際、麻木は楓の穏やかな笑みにずっと、半ば騙されて来た。仕事 同様、人生もまた順調だと安心している内に大変な状態に陥っていたのだ。 この男に不服を言えた義理じゃないか。 親のくせに、読めなかったんだからな。 「真夜気も口は過ぎますけれど、でも、決して悪気じゃないんです。だから、 どうぞ、気になさらないで下さいね」 麻木は親切そうな小鷺の言葉に一つ、二つ、仕方なく頷いた。麻木が真夜気 の暴言に気を悪くしたと見誤っているだけで、小鷺に非はないのだ。 御親切にオレを気遣っているだけだ。 だが、麻木にとってはそんな誤解で気遣われるくらいなら、いっそストレート な真夜気の方がよほど小気味良く感じられる。麻木は実際、怒ってはいないの だ。ただ、この顛末には酷く疲れさせられたような気がする。正直を言えば、 小鷺の良心的な親切が煩わしくてならなかった。 楓なら、こんな行き違いは起こり得ないのに。 麻木は病室で眠る息子を懐かしく思い出した。楓は麻木のしかめっ面、そこに ある一切を見逃さない。ほんのわずかな筋肉の力の入れ具合の違いを見るだけ で父親の気分が理解出来るのだ。 あれはやっぱり、長く一緒にいた証だよな。 神業だ。 そう思うと、たまらなく楓の顔が見たくなった。それにこんな寒い廊下に長居 する理由もない。 「それじゃ」 一言で断って、麻木はさっさと医務室へと戻って行った。 |