せめて一日だけでもと、静養することになった楓は麻木と共に自宅へ戻って 来た。麻木の家。楓にとっては生まれ育った懐かしい家だ。チャコールグレイ のコートを羽織り、楓は庭先でぐずぐずと、いつまでも木々を点検している。 やっぱり、な。 最初からそのつもりだったんだろう。 普段、楓はどこに行くにも事務所の副社長、土田の車で送り迎えされるから、 コートなどまず、持ち歩かない。今日は寒い庭先に長居する気で帰って来た、 その心づもりがあったからこそ、珍しくも今、楓はコートを着ているのだ。 楓の庭好きは今に始まったことではない。それに、どうやら唯一の気休めの ようだ。麻木は咎めもしなかった。気が紛れるなら。そう思う。第一、ここは 彼の領分、住処なのだ。麻木に口出しする資格はないようなものだ。小さな池 とそれに似合いのささやかな庭だが、空間いっぱいに生い茂った草木は全て、 楓の子分のようなものだった。 何しろ、こいつが買って来て、植えて、育てたものなんだから。 当然、植えられた草木は植えた楓の物でしかない。どれもこれも最初は子供が 買えるような小さな植木だった。だが、今では相当な代物へと成長し、完璧に “化けて”いる。その木々の枝先に触れ、幸せそうな楓を見ていると、麻木に まで不可解な幻が見えて来るようだった。 そう、幻だ。 麻木は一人ごちる。 庭木まで幸せそうに見えるんだからな。 彼らは皆、楓を歓迎している。楓と触れ合っている木は隣の木より、輝いて、 幸せそうに見える。隣で待つ木は一刻も早く楓を自分の元へ呼び寄せようと、 躍起になっているようにさえ、見えるのだ。 馬鹿馬鹿しいがな。 麻木は口中で呟き、苦笑いする。自分の思いつきが滑稽で気恥ずかしかった。 人間が木と会話出来るはずがない。ただ、風にあおられ巻き上がる楓の髪と、 同じように揺れる枝先が共鳴し、淡い日差しの中で美しく見えるから、そんな 幻想を抱いたに過ぎない。麻木とて、そう知ってもいる。 土台、楓の庭好きは極端なもので、他には関心事がないように見える。若い 男なら当然、誰でも持っているはずの好奇心が欠け落ちているふしさえ、見て 取れるのだ。 今朝だって。 麻木は楓のセリフに呆気にとられた。 思い出しても、もう一回、仰天出来るぞ。 ここへは楓の車で帰って来た。しかし、すんなり、そう運んだわけではない。 楓はその車を半年以上も駐車場に放置していたらしく、麻木がタクシーを呼ぶ べく受話器を取り上げるのを見て、こう言ったのだ。もし、自分の車があった ら、それで帰ろうと。 あったら? 大体、ここ何ヶ月か、楓が車の運転をしないから、麻木はめったに使わない車 を楓が処分したのだと思い込んで、タクシーを呼ぼうとしていたのだ。自分の 車があったら。摩訶不思議な表現を使うものだ。父親の表情を見て、楓が説明 してくれた。 『あのね、買い換えたんだけどね、それっきり乗っていないんだよね』 『だって、前は車、運転して帰って来ていたじゃないか』 『うん、でも、運転するの、嫌になったから』 『事故でもやったのか?』 『ううん。怖い夢、見ちゃったから、それで。仕方ないよね。運転したくない んだもの』 |