しばらく絶句し、それから、ようやく麻木は口を開くことになる。 「オレが先に死ななくて、どうするんだ? 子供の葬式を出すだなんて、オレ は絶対にお断りだからな。第一、オレがいなくたって、おまえは一人じゃない だろう。オレが死ぬ頃には女房も子供もいるだろうが」 「意味が違うよ。お父さんはお父さんで、お父さんの代わりはいないでしょ? 他の人じゃ、ダメなんだよ」 「何で?」 「その人はお父さんじゃないもの。意味が違うでしょ?」 まるで禅問答だ。麻木は口論を続ける気が失せて来た。 「オレに長生きして欲しかったら、おまえこそ、せいぜい、自分を大事にしろ よ。オレが余計な心配をしなきゃならんような秘密主義は捨てて、何でも報告 してくれ。おまえ、本当に自分が狙われているとは思わんのか?」 「脅迫状は届いていないから」 楓は少しばかり機嫌が悪くなったようで、他人事のような口ぶりに変わって いる。エレベーターは既に五階に到着し、停止したままだった。場は険悪では ある。だが、麻木にはもう父親としての覚悟を引っ込めるつもりはなかった。 今、しなくてはならないことはこの場を丸く収めることではない。少しでも、 欠片でもいい、本人から何らかの手掛かりを得ることに他ならないのだ。 「おまえは一連の事件と無関係じゃない。犯人は間違いなく、おまえの近くに いる。そうだろう? 第一、青田が捨てられていたのは」 「待って」 楓が制し、苛立った調子で口走る。 「僕が気にしていないのにどうして、お父さんがわざわざ余計なプレッシャー 掛けようとするの? そんなことをする意味がわからないよ」 「どうして、だって?」 なぜ、父親の心配が息子に通じないのか。麻木にはそれが甚だ不思議で、仕方 がなかった。 「用心しといて損はないだろう?」 「する必要のない心配なんかしたくない。地震の心配する方がよっぽどまとも だよ」 「少しは本気で」 楓はふと視線を変え、父親を見やった。 「どっちでもいいけど、とにかく降りよう。こんな狭い所、気持ちが悪いよ」 「そうだな」 確かに狭いエレベーターの中で親子が言い争っている様は恰好のいいものでは ないし、監視カメラの向こうでは小岩井達が困り果てているか、いっそ笑って いるか、そのどちらかだろう。親子はともかくエレベーターを降りて、だが、 すぐに足を止めることになった。部屋の前に男が一人、立っていたからだ。 「すみません。この下の小鷺と申しますが」 同じマンションの上下階に住んでいるにも関わらず、どうやら楓とその男の、 二人は初対面のようだ。信じ難い、今時の人間関係だ。こんなことではいざと いう時、近隣の誰一人、あてに出来ないのも当然だろう。 誰も頼りにはならんのだ。一刻も早く検挙するしかないんだ。 「お宅のベランダにうちの猫が入り込んだようなんですよ。申し訳ないんです が、見て頂けませんか?」 パピだ。あの白い高級な猫。麻木は抱いたパピのしなやかな感触と美しい目を 思い出した。 「それじゃ、どうぞ」 楓は無造作にドアを開け、そう言った。いくら何でも、もう少しくらいは警戒 してもらいたい。麻木は呆れ果て、それと同時に感嘆もしていた。もしかした ら、彼には他人を疑うという機能が付いていないのではないか、と。 こいつの女房は疑り深いくらいじゃないと生き抜けんぞ、とても。 |