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 当時も、そして、現在も麻木にはカホの真意はわからない。自分と言う男を
愛していたのか、否か。
それさえも。
二人は唐突に結婚し、突然、死に別れた。お互いを知るに足る時間はなかった
し、その上、麻木には彼女の過去を聞き出す能力も、自分を愛してくれている
のか、否かを問い質す度胸もなかった。仕方のない結果だと思う。
それに。
もし、彼女が生まれて来る子供のために幾らかの保障を求めて自分と結婚した
のだとしても、麻木は彼女を恨む気にはなれなかった。カホは麻木の手に楓を
残してくれた。それで十分ではないか。
楓がいたから、オレは幸せだったんだ。
そうだ。
全ては、こいつがいればこそ、なんだ。
 幼い子供を抱えて生きること、それが不運だと思わなかった。当然、日中は
兄夫婦の元へ預けざるを得なかったし、深夜、遅くなってから迎えに行くこと
も多かった。手間はかかった。だが、どんなに疲れていても、楓を迎えに行く
ことは麻木にとって何より楽しい日課であり、日中の荒んだ気持ちも楓の笑顔
を見れば一秒で浄化され、癒されたのだ。出世して行く同期を見て、一瞬でも
侘びしく思った自分を反省し、それこそ、ふがいないと諫めることも出来た。
そう、オレの力じゃない。
楓の力なんだ。
 今日まで麻木が人間らしい幸せを味わうことが出来たのは全て、楓がいれば
こそ、つまり、楓がもたらした結果なのだ。楓を育てるという目的のために、
必死になって歩いて来た道は、振り返れば楓に与えられ、生かされて来た人生
だったと言えるのだろう。その楓の悲惨な日常を思うと、麻木は泣けて来そう
だった。この疲れ果てた寝顔を見れば、自分が今日まで親として、どれだけ、
手を抜いて来たのかを思い知らされる。
オレは、あの馬鹿共が殺されなければ、何一つ気付かなかっただろう。あんな
に悪質な変質者に、四人もの馬鹿に嘖まれる日常なんて、想像もしなかった。
もし、事件が起こらなければ。オレは息子の、こんなくたびれ果てた寝顔にも
気が付かなかったかも知れないんだ。
あんな連中に、、、。
悔しさに麻木は唇を噛み締める。彼ら、四人はどれもこれも治療が必要な変質
者で、もし、生き続けていれば、その内の誰かが楓に直接、危害を加えていた
に違いなかった。
忌々しい。
もし、警察と言う組織の末端として、刑事として、一連の捜査に加わっていた
のでなければ。そこに、ただ、父親として居合わせたなら、麻木はあの四人の
生前の言動には到底、我慢出来なかったことだろう。もし、彼らがあそこまで
無惨な他殺体に変えられていなければ。
オレだって、その死体にもう一刺ししていたかも知れない。
呑気な顔して死んでいたら。
物足りないと、刺していたかも知れない。しかし、実際は刑事達でさえ、怯む
ような代物で、結果、麻木の四人への怒りは行き場を失ったのだ。
あんな奴らでも、あの殺されようは、な。
麻木はため息を吐きながら、第三の被害者を思い返していた。その男、朝倉は
自ら売り込んで来た、楓のバックバンドのギタリストだった。身元が判明し、
捜査のため部屋に入ったその時の麻木の身震いには田岡が気付くほどだった。
気味悪い黒い部屋。ぞっとした。 

 黒のPタイルの床、素材の知れない黒い天井。黒一色の家具。そして、黒い
ストライプ模様の壁。そう思ったのは一秒か、二秒の錯覚だった。黒の濃淡と
白い直線が織り成す縞模様だと思った壁紙。その黒い濃淡で出来た太い縞部分
は全て、モノクロの写真が連なる列だったのだ。
百枚、二百枚って可愛い枚数じゃなかった。
全ての壁は盗撮と思しき楓のモノクロ写真でびっしりと埋め尽くされていた。
あの夥しい枚数はそのまま、朝倉の楓への執着だろう。そして、四人目の被害
者、豪田。豪田は大きな楽器店の一人息子で、営業と称しては実際は定職にも
就かないくせに、楓の行く先々に出没していた。麻木はつい先日、彼の友人に
聞いた話を思い出し、背筋を震わせた。

 

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