小鷺はごく無邪気にそう言った。麻木が部屋について何も言わなかったことを 肯定と取ったのかも知れない。いいですよね、小鷺はすこぶる上機嫌だった。 「服は地味なのに」 麻木の冷やかしにも、楽しげに苦笑いを返して来る。 「一応、教師ですからね。多少、地味めじゃないと。それに。ミーヤは黄色が 嫌いなんです。子供の頃からそうだから、これから先、好きになることはない でしょうしね、残念だけど。何だか、黄色が怖いみたいな感じだから、ミーヤ の目に入る服とか小物とか、そういう物には選ばないようにしています」 「怖い?」 「ええ。怖いって感じのリアクションでしたよ。ずっと昔から。嫌な思い出で もあるのかなって感じの。トラウマってやつかも知れない。子供の頃についた 傷って残るでしょ、肌の上でも」 ましてや、心についた傷痕は修復しないものだと小鷺は信じているらしい。 「だから、ミーヤはここには絶対、入って来ないんですよね」 「そりゃあ、残念だな」 「ええ。ちょっと失礼」 小鷺はキッチンへ立ったのだろう。すぐにコーヒーの香りが流れて来た。そこ ら中に立ちこめた香りが胸の内側を香ばしく、幸せな気分にしてくれる。麻木 はコーヒーは飲まないが、この香りだけは好きだった。こんなかぐわしい香り を嗅いだ後、実際に飲むコーヒーそのものはまるで匂いの残りかすのようで、 飲む気がしないのだ。 それにしても、いい匂いだ。鼻から酔いそうだな。 小鷺は黒塗りの盆の上にやはり、青のコーヒーカップを載せて戻って来た。 予想通りではある。ただ、カップが青一色でなかったことは意外だった。口周 と取っ手の部分が金で彩色され、受け皿に金輪が三つ、波紋のように描かれた それ。二つのカップには小さな黒い鉢が添えられて、小ぶりな茶色い角砂糖が 盛られていた。麻木はしかし、その鉢に添えられたトングとコーヒーカップの 下に置かれたスプーンの方に目を留めた。それらはあまりに装飾過多で時代が 違い、部屋中のどれとも、小鷺の若さとも見合っていなかったのだ。鳥の姿を 浮かび上がらせた見事な細工だが、これに似合う部屋など、現代社会にはまず なさそうだった。 「ああ。これ」 麻木の視線を追って、小鷺は苦笑いした。 「かなり、大袈裟って言うか、デコラティブですよね。やりすぎ、ですよね。 昔、母がオーダーした物らしいんですけれど、食器と合わないんで、お蔵入り していたんです。それを僕が家を出る時に姉が四、五本ずつ持たせてくれて。 趣味じゃないけど、使わないのも職人さんに申し訳ないし、まぁ、綺麗だし」 「確かに、な」 コーヒーそのものはすこぶる美味かった。期待以上とも言える。香りに見合う 味だった。 「いいでしょ、これ」 自慢げに小鷺が言う。 「誕生日のお祝いにって、昨日、ミーヤが淹れてくれたんです。水出しだから 淹れるのにすっごく時間がかかるんですよ。今日は家に帰っているらしいんだ けど」 小鷺はすっと暗い表情に変わる。楓とは対照的なほど、正直な表情筋を持って いるらしかった。 |