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「真夜気が迎えに来てた」
ふと、弱く呟く。そのあまりの消沈ぶりを見ては、麻木も一言、慰めを言って
やる気にもなった。
「従弟なんだろ? どうってことはないじゃないか」
「ミーヤにあんな従弟はいませんよ」
カッとなって、迂闊にも麻木を睨んだ小鷺が何だか可愛らしく思えて、麻木は
苦笑してしまった。ミーヤのこととなると、精神年齢が急落してしまうらしい
のだ。
「オレに当たるなよ」
「すみません」
ぺこりと頭を下げ、小鷺はまたしょんぼりと項垂れる。
「誕生日なのにな」
どうでも自分の誕生日にミーヤが真夜気と出掛けたことが哀しいらしい。恋の
対象が同性というだけで、小鷺の感情は人間的で、他愛ないものだった。楓に
取り付いていた変質者共とは違い、小鷺は相手の気持ちを思いやる。まともな
行動しか取れないのだ。だからこそ、ずっと片思いのままなのだろう。となる
と麻木には彼を嫌う理由がなかった。小鷺は楓には害をなさない善人なのだ。
「家は薬屋と言ったな」
「さすが刑事さん。よくあんな立ち話、覚えていますね」
「さっきの男は坊ちゃんと呼んでいたようだが」
「大沢さんは彼のお父さんがうちの会社で働いていた関係で、ずっと僕の家庭
教師をしてくれていたんです。だから、口癖みたいですよ、坊ちゃんって」
麻木は朗らかな小鷺と特注の銀のスプーンを頭の中で足してみた。思い浮かぶ
のはとびきりの裕福な暮らしだ。町の薬局であるはずがない。麻木は恐る恐る
思い付いた名前を上げてみた。
「薬屋って、小鷺製薬のことか?」
悪びれた様子もなく、小鷺は頷く。
「じゃ、次男か、三男か。姉とか妹とか言ったが?」
小鷺はニコニコと笑っている。それもそうだろう。彼にとっても言われ慣れた
ことのはずだ。誰でも、小鷺製薬を継がずに、教師になることが妥当な選択と
は思えない。
「僕は一人息子です。やる気も能力もないんで、会社には入りませんでした。
息子だから次期社長だなんてほど世の中、甘くないし。幸い、うちは姉にやる
気も能力もあるんで、彼女が実力で次の社長になりそうです。妹はサポート係
だって、姉の子供にまで教育ママしていますよ」
楽しそうに喋る小鷺の様子を見る限り、小鷺家では上手く役割分担が出来て、
納得ずくなのだろう。だが、それでも麻木には納得が出来なかった。彼が製薬
会社を継がなかったことは理解したとして、よりにもよって教職を選んだこと
が麻木には不可解だったのだ。もっと見栄えが良く、高収入を望める仕事など
彼の生まれた豊かな世界にならこそ、身近にいくらでもあっただろうし、両親
も跡を継がないまでも、そういう仕事を選ぶようにと望まなかったのだろうか
「何で、教師に?」
「やり甲斐があるじゃないですか」
即答だった。一秒も小鷺は迷わなかった。
「教育って、農業に似ていると思いませんか? 日々、そこ彼処に新しい発見
がある。発見の積み重ねが人生になるなんて、素晴らしいと思ったから教師に
なりました」
小鷺は自信に満ちて、その目は輝いていた。
「もちろん、新薬の開発にもそんな発見があるだろうし、研究成果は人と社会
の役に立ちますけれど、僕は人間の方が好きですね。実験室よりは教室の方が
いい。性格的に動物実験は嫌いです。抵抗力のない小さな命を奪うのは、目的
が何であれ、やっぱり気が進まないから」
小鷺はそう口ごもり、すぐに苦笑いを浮かべた。
「こんなこと、研究員の皆さんに聞かれちゃ、まずいかな。皆、真剣に研究に
励んでいるのに」
「聞こえやしないさ」

 

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