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「違うだと? では、なぜだ? なぜ、その娘は親しい友人にも、それどころ
か、親姉妹にも何も言わず、相談もしなかったんだ?」
「自分で解決したかったからですよ。喜びは分かち合いたい。だけど、悲しみ
や苦しみは大切な人には背負わせたくないって思うものだから。まいちゃんは
大好きな家族を苦しめたくなかったんです。結果はあんなことだったけれど。
僕だって、ミーヤが好きだとは家族には言いません。本当のことは言えません
よね。だから気が済むまで一人で抱えて、考えて、努力して、それで良い結果
が出せなくとも満足です。家族に余計な気苦労をかけるより、ずっといい」
小鷺はぐったりとした疲れた笑みを浮かべて見せた。言うだけ言って、何かを
消化出来たのかも知れない。
「ごめんなさい。未だワインが残っているようです。顔を洗って来ます」
他人に、自身の心、それもあまりに深い所にこっそりと隠し持っていたものを
さらしてしまったのだ。当然、小鷺には場を転換する必要があったし、麻木も
そうして欲しかった。
オレなんぞに一緒に背負ってやれるような荷物じゃなさそうだからな。
 一人になって麻木はまず、ため息を吐いた。それから瞼を下ろし、頭の中に
ある黒い背景の上に楓の姿を描いてみる。小鷺の幼友達が自分の苦境を両親に
も姉達にも親友達にも告白しなかったように、小鷺が自分の枠外の恋を両親に
相談出来ないように楓も一人、思い悩んでいたのだろうか。察しの良さそうな
小鷺でさえ、まいと言う、未だ少女のような年頃の女の内心の苦悩を、彼女の
表情やしぐさの中に見つけることが出来なかったのだとしたら。その小鷺以上
に利口だろうミーヤにさえ、ごく普通の少女の中から秘めた苦悩とそれに因る
危険を嗅ぎ取ることが出来なかったのだとしたら。
だとしたら。
凡庸な自分に、既に植物の域にまで届きかけているような楓の穏やかな表情の
中から、その本心を見つけ出すことは不可能だったのだろうか。
いいや。そんなはずはない。オレは父親だ。それも一対一の。死角も、漏れも
何もない関係じゃないか。
三人の娘を両親が二人がかりで見る。その方がよほど死角が生じそうなものだ
と思う。一人で一人きりの子供を見る方がミスは生じ難いはずだ。
それなのに。オレは言い訳ばかりしている。
『お父さんは信じてくれると思っていたのに』
父親ではないと知っていた楓の口から出た言葉。血が繋がっていないと知って
いて、それでも麻木の言葉を信じ、子供時分に交わした約束を守っていた楓。
かわいそうなことをしてしまった。
楓を裏切り、傷つけたと今更ながら思い知る。
楓は空っぽな人間なんかじゃない。父親に知られまいと頑張った子供の腐心を
台無しにしてしまったのはこのオレだ。あいつはオレを父親として選び、心配
かけまいと頑張ってくれたのに、オレはその気持ちに応えてやらなかった。楓
は嘘を吐いているんじゃない。かわいそうに。妄想を見て、それを信じ込んで
いるだけなんだ。 
四人の、もしかしたら、それ以上の数いたかも知れない変質者につけ回され、
今は見えざる殺人鬼に狙われているかも知れないその不安が心労となり、楓に
幻を見せている。それはまともで居続ける方がよほど、おかしいような次元の
恐怖に違いなかった。

 

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