よくよく考えみれば、最初からわからないことばかりだ。冷めたコーヒーを 麻木は一息に飲み干す。考えてみなくてはならないことはいくらでもあった。 胸ポケットから手帳を取り出す。六月二十八日。青田の死体が発見されたその 日、署内は異常な喧騒に包まれていた。マスコミに、市民に受けると言えば、 いささか不謹慎だろうが、好奇心をそそる猟奇殺人事件だ、何が何でも犯人を 即日、逮捕して見せなくてはならない。逮捕出来ないような失態など断じて、 演じるわけにはいかないのだと課長の寺島が叫んだことを麻木は鮮明に覚えて いる。全員一丸となって捜査をと、やる気がないという定評のある麻木や田岡 にまで発奮を促し、目撃者を捜した。結果、まず被害者の身元が、次に楓の、 某有名歌手の元スタイリストだったという青田の経歴がわかると、マスコミの 反応は凄まじかった。マスコミはその瞬間から、青田が失踪するまでの足跡を 追い始めた。いや、それだけでは飽き足りないと言うように、青田の生まれて から死ぬまでの全てを掘り起こし始めたのだ。 その、まるで狂気を帯びているかのような熱気に煽られ、警察は一層、捜査 に邁進し、死力を注ぐはずだった。だが、麻木が納得して捜査に加わっていた のはその頃までに過ぎない。不思議なことにそこから不意に捜査は失速して、 それに同調するようにマスコミも急速に沈静化して行った。彼らはまるで呼応 するように冷めて行ったのだ。明らかにその変化はおかしかった。今となって は警察も、マスコミも事件には触れないよう、苦心しているふしさえ、ある。 だが。一体、なぜだ? あんなに皆、やる気だったのに。 警察はやる気十分だった。幹部から下っ端まで、今回は税金泥棒寸前の麻木 と田岡までやる気で満ちていた。それにも関わらず、なぜ、急にパワーダウン することになったのか? いくら考えてみても、麻木には理由がわからない。 署内の誰一人として、わからなかったはずだ。少なくとも課長クラスでは理解 し難いことだった。当時、課長の寺島は異常なほど不機嫌で、感情的だったの だから。上から到底、納得出来ない指令が下されたとしか思えないが、そんな 指令が出るはずもない。 まさか。犯人を逮捕しないようにって、上が指示するわけ、ないからな。 事情はさっぱり、わからない。しかし、その急な変化が起きた時期ははっきり としている。 検死報告が届いてからだ。 青田は変わり果てた、見るも無残な姿で発見された。酷い姿に変わってはいた ものの、しかし、彼の死因は溺死だった。プールで子供が溺れるのと同じよう にして、青田は死んだのだ。死体の損傷は彼の死には関係がなかった。真水が 青田の体内へ流れ込み、肺を塞ぎ、まさしく息の根を止めた。つまり、犯人は 後ろ手に縛った青田を水槽に押し込んで溺死させたと思われる。麻木は青田の 造作の無くなった無惨な死に顔を思い返す。きっと大量の血が流れ出ただろう がそれにも関わらず、死体の肺や胃から検出された水道水に血は含まれていな かった。間違いなく、犯人は青田の死後、その死に顔を執拗にえぐったことに なる。だが、それは一連の、正当な行為と言えるのだろうか。 ピンと来ない。繋がらない。 そう思う。 |