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あの一言で麻木の心は随分と、救われたと思う。今、楓は苦しんでいる。それ
は紛れもない事実だ。例え、迷惑な変質者であっても、それでも自分の身近に
いた人間が立て続けに惨殺されればショックは大きい。何より、犯人は楓本人
を念頭に置いて行動しているふしがある。それは頭の良い楓には直接的な脅迫
以上に質の悪い恐怖をもたらすものだっただろう。
その上、この無理解な父親。
既に妄想に囚われ、狂いの生じている楓には今、麻木が心配するほど連続殺人
犯達の影は大きくも濃くも見えていないようだった。それは田岡に言わせると
ラッキー、ならしい。
『気がおかしい? だったら、犯人を逮捕した後で静養がてら入院するなり、
通院するなりして治療すればいい。それだけの話じゃないっすか』
『美人のオバケを見ていて、殺人鬼が見えないんなら、そりゃ、運が良いって
喜んであげなきゃ。それこそ、守護霊の、本物の御加護ってもんでしょ』
正論だ。しかし、楓はオバケを見て、そのために苦しんでいたわけではない。
彼をいたく傷付け、苦しめているのはこの愚かな父親に他ならないのだ。
オレが楓を傷付けているんだ。
『親が子供にしてやれることって、信じてあげることだけですよ。例え、真実
を知らないままでも、信じてやればいい。親に信じて貰えない子供には自分を
信じる力が与えられないんだと思う。だから、強くなりきれないんだと思うん
です。親からの信用は子供にとって、何より自分自身を信じる力になる、戦う
源になるから』
『まいちゃんは、結末はあんなだったけど、それでも彼女は一人で一年近くも
耐えた。戦ったんだって、思ってあげたいし、それが出来たのは家族が彼女を
信じていたからだって思ってあげたい。褒めてあげたいし、僕も強くなりたい
んです。ミーヤが幸せになれる方向で、僕も幸せになりたいから』
幸せ、か。
自分の力でどうにかしようと思う、いや、どうにか出来ると信じている小鷺の
若い勇ましさが羨ましくもある。しかし、麻木は既に老い、息子を当てにせず
には自分の幸せを思い描くことも出来ない。息子やその嫁と孫達のいる、同期
の連中が当たり前の日常と考えているあの生活が今の麻木の望む幸せなのだ。
そして、そんなことを夢見る自分をはしたないと諫める勇気が麻木にはもう、
無くなっている。こんな歳まで生きていながら、年若い小鷺に教えられる有様
なのだ。
オレは父親失格だ。
世間の誰より深く、理解しているつもりだった。歌手の楓は作られた商品だ。
その虚像をいくら知ってみても、楓本人を理解することは出来ない。麻木だけ
が生身の楓を知っていて、本当の楓を理解していると思っていた。楓の記憶力
は抜群で、成績は常に上位だったが、楓は記憶力にあぐらをかいていたわけで
はない。飄々としても見えるが、実際は生真面目で、着実に積み重ねる努力家
だった。毎日、きちんと勉強していたからこそ、あの成績を納めることも可能
だったのだ。
楓は特別なんかじゃない。ちゃんと努力していた。その努力を父親が忘れて、
何一つ、評価しないなんて。ましてや、人格を疑うなんて。

 

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