オレは動揺している。 その自覚の上に立ち、改めて思う。とにかく今は何が何でも、丸ごと、全て、 楓を信じてやろう。 それで少しでも、あいつの心が癒えるなら。 しかし、傍らの二人は麻木の心中の覚悟など、気にも掛けていなかった。 「何でまた、おでん屋さんですき焼きなんすか?」 「もちろん、おでんも出すわよ。でも、人数が多いからね、食べられないって 言う人も出て来るわけ。うちは何でも作れちゃうしね」 まち子は麻木を見やった。 「ねぇ、旦那。楓ちゃん、メロンは好きだったかしら」 「さぁ、あいつ、好き嫌いがないからな」 「そうなのよね。それって結局、好きな物がないっていうのと同じなのよね。 何食べても、別に嬉しいわけじゃないんだから」 まち子はため息を吐き、困ったようにカウンターを見回した。ずらりと並んだ 大皿の中に楓の好物は埋まっているのだろうか、と。 「一度、楓ちゃんにうん、これだって言わせてみたいのよね。毎年、手は尽く しているんだけど、もう一皿欲しいって言われた例がないものね」 「満足しているんだろ? でなきゃ毎年、ここでやるわけがない」 「そういう意味じゃないわよ、たぶん。ここって、スタッフの人達には地便が いいらしいから。あっ。お水は好きだったわね。ミネラルウォーター、買って 来なくっちゃ」 「そんなの、いらんよ」 そう言った途端、まち子は麻木を睨んだ。 「あたしは真剣なのよ。今日は楓ちゃんを励ます会のつもりで準備して来たん だから。あの子、見る度、元気がなくなって行くんだもの。何とか力付けたい のよ。それなのに主賓の好物すらわからないだなんて」 「気持ちだけで十分だ」 「何を言うのよ。旦那は年寄りだから、そんなこと言うのよ。楓ちゃんは若い から現物じゃなきゃ、意味がないの。あたしは商売じゃなくて、真心で御馳走 してあげたいのよ。一人暮らしじゃ大した物、食べていないでしょ。だから、 気が滅入るんだわ。美味しい物をいっぱい食べれば、気分転換にもなって、楓 ちゃんもすぐに元気になるはずよ。今日は大勢だし、良いチャンスなのよ」 「それはそうだが、そんなに気負うこともないだろ」 「ダメよ。出来ることはやらなくちゃ。やっぱり、ミネラルウォーター買って 来る」 きっぱり言い放って、まち子が割烹着を外し、カウンターを出たその時、店の 戸が開けられた。 「こんばんは。遅くなっちゃって」 先に麻木の兄、守が、次いで妻の節子が入って来た。仲の良い夫婦はこの頃、 ますます似て来た笑顔で麻木を見やった。正直、麻木には最近、守が実兄だと いう実感がなくなって来ている。すっかり妻に似てしまって、彼女の兄にしか 見えないのだ。それほど守と節子は似た夫婦で、二人には第三者には見えない 強い結びつきがあるようだった。何を根拠にしてか、二人はお互いをかけがえ のないものと信じ込んでいる。 良いことだけどな。 それにしても、二人は食事に来たとは思えない大荷物を携えていた。守は両手 に二つも三つも白いビニール袋を下げ、節子も大事そうに風呂敷包みを抱えて 立っているのだ。 「何だ、その荷物は?」 麻木が尋ねると、そう聞かれるのを待っていたように守は嬉しそうにミネラル ウォーターだと答えた。 |