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 店の喧噪に慣れないのか、心配事でもあるのか、落ち着かない様子で小鷺は
忙しなく辺りを見回している。
「どうかしたのか?」
「えっ? ええ。まぁ、何となく」
小鷺は彼らしくもなくはっきりとしない。どこか上の空で、身体はここにある
ものの、頭の中は他のどこかにあるような、何らかの考え事で手一杯と言った
風情。麻木が小鷺のそんな様子を見て思い付く要因は一つきりだった。ミーヤ
の具合が悪いのではないか。第三者の前で話題にするのはためらわれる。念の
ため、麻木はまず、田岡達の様子を盗み見た。田岡はまち子が用意している鍋
を物珍しそうに覗き込み、何やら楽しそうに話している。どうやら彼の母親は
料理が嫌いなようだ。田岡は煮立つ鍋が面白くて仕方がない様子なのだ。その
田岡に説明してやるまち子の方も楽しげで、二人は麻木達のことなど、忘れて
いるに違いなかった。それでも一応、麻木は声を潜めた。
「六階の人、具合でも悪いのかね」
「いえ。そんなんじゃ」
こわばった顔のまま短く否定し、それから小鷺はようやく笑い顔になる。基本
的にミーヤのことは楽しい話題なのだろう。
誰彼なしに話せないからな。
「最近は安定していて、その分、仕事にかまけていますよ。手広くやっている
から仕方ないけど、僕は蚊帳の外で。今日は何かの作業がはかどらないって、
かなり不機嫌でした。人任せに出来ないことも多いみたいで」
「やり手なんだな」
「ええ。ある種、僕とは覚悟のほどが違いますからね」
 麻木は一瞬、小鷺の目が歪んだ黄色い光を映し込んだように光るのを見た。
まるで覚悟の足りない自分を嘲笑したようで、そうではないような。あまりに
商売熱心で、自身の身体すらいとわないミーヤへ抱く小鷺の気持ちは複雑なの
かも知れない。そんな想いが浮かべたような歪んだ光だった。自分の思うよう
に出来ない愛情には憎悪もまた、絡み付くものなのかも知れない。そう考えた
が結局、麻木には正しい所はわからなかった。
経験がないからな。
「今日は楓さんのスタッフはほとんど来るそうですね」
「そうなのかね」
小鷺はすんなりと話題をすり替えた。彼の手にはやはり絆創膏が何枚か残って
いる。その手が気忙しく、細かく動くのを小鷺自身は自覚していないようだ。
動揺しているようにも見えるしぐさ。しかし、ミーヤに関わることでもないの
に、小鷺は何を案じているのか。
「どうした?」
「楓さんのお宅へ伺ったら、ちょうど電話を掛けているところで、呼べるだけ
呼ぶんだって言っているのが聞こえたんですよ。だったら、僕は邪魔なんじゃ
ないのかなって思って」
「それで帰りたいのかね?」
「いえ。帰りたいってわけじゃないんです。今日は真夜気が来ているから」
悔しさが唇に滲んで漏れて来るようだ。つまり、小鷺は真夜気に弾き出されて
しまったのだ。

 

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