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「もう一年になるのかな。結婚したってハガキ、貰ったよ。それがえらく若い
嫁さんでね。もうビックリだったよ」
「あの高田さんが、ですか? 何か意外ですよね、やっぱり」
「彼は硬派で売っていたからねぇ」
これ以上、二人の上等な世間話が長引けば。田岡の機嫌はますます悪化するの
ではないか。麻木は内心ヒヤヒヤとしている。田岡と言う男は年に三度程度、
この上なくひがみっぽくなって、拗ねて手に負えなくなる時がある。よりにも
よって、それが今日なのではないか。麻木は嫌な予感にさらされ、吐き気まで
覚えていた。未だ楓とは目も合わせていない。そんな状況下に、潤滑油として
頼みに連れて来た田岡がふて腐れてしまったら、どうにもならないのではない
か。麻木は何とかして、田岡の気分を一新したかった。それが出来なければ、
自分が困る。必要に迫られているのだ。
「おい。外へ出てみたらどうだ? 向こうは賑やかだぞ」
そう声を掛けたが、田岡は不服げに鼻を鳴らしただけだった。
「あんな業界人ばっかりの華やかな所、入って行けるわけがないっしょ。話が
通じないっしょ? 所詮、オレなんてしがない公務員なんすからね」
麻木は小鷺が心配そうな目でこっそりと、麻木と田岡の様子を伺っているのに
気付いた。彼にも田岡の機嫌が悪くなった理由がどうやら自分と廉の世間話に
あったと見当が付いたらしいのだ。それで気にはなるものの、適当な懐柔策が
見つからず、うろたえているのだろう。麻木は仕方なく廉の方を片付けようと
思い立った。
「廉はどうだ? おまえ、挨拶くらいしなきゃならんのだろう?」
「僕はスタッフとは親しくないですから。それに今、楓ちゃんとはケンカして
いますからね。遠慮しておきますよ」
___ケンカ、だと? 
麻木にはすぐにはピンと来なかった。二人は仲が良く、ケンカなどするはずが
ないとばかり思っていた。実際、小さい頃の楓には廉しか友達がいなかった。
何しろ、廉の家に預けっぱなしなのだから、兄弟同然になるのも当然だった。
父親として悔しい気もするが、楓の人生の方向を決めたのは麻木ではなく、廉
だ。廉は日柄一日ギターを抱える少年だったし、やがて夢を諦め、現実として
選んだのは法学部だった。その後、楓が法学部を選んだのも、歌手になったの
も廉の影響に違いない。順序が逆ならもっと良かったのだが、あいにく楓には
才能があり、あっさり歌手になってしまったのだ。
「おまえ達でもケンカするのか?」
「しますよ。ごくつまらないことで」
廉は苦笑いした。
「僕が悪いんですけどね。今回はこないだ事務所で会った時、楓ちゃんの髪に
ですね」
そう言いながら廉は自分の右のこめかみの辺りを人差し指で示して見せた。
「この辺りに白髪があったんで、つい抜いちゃったんですよ。それで楓ちゃん
が怒っちゃって。謝ったんですけど、当分、許してくれそうもないな。さっき
もプイって、そっぽを向かれたくらいだから」
「当然っしょ、怒るのが正常っす。白髪なんて、抜く必要もないものを本人の
了解なしに勝手に抜くなんて、ただの暴力行為じゃないっすか。痛いでしょう
が。かわいそうに」
田岡の剣幕に麻木はなす術もない。絶望的だ。そう思ったが、しかし、その場
はふいの明るい声に救われた。ドタドタと子供っぽい足音が近付いて来たかと
思うと彼は大声と共に、まさに飛び込んで来た。
「こんばんはー。むぎちゃんでーす」

 

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